「夢や希望を読者に語るのではなく、『人間とは、所詮こんなもの』と教えてくれた。気がついたら、つげさんの作品を手放せなくなっていました。人間不信に陥り、『この世から消えてしまいたい』と思っていた私に、つげ作品は寄り添ってくれた」
そう熱く語るのは、漫画家のヤマザキマリ氏だ。
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「ねじ式」が大きな評判となり、一大ブームに
3月3日、漫画家のつげ義春が亡くなった。享年88。その訃報に際し、漫画界だけでなく、俳優の竹中直人や佐野史郎、映画監督の塚本晋也など多くの文化人が弔意を表した。
「自伝的作品の『無能の人』など、シュールさと叙情的な暗さを併せ持ったつげの作品は、漫画の枠を超え、映画・演劇など様々な分野に影響を与えました」(漫画雑誌編集者)
1955年、貸本漫画家としてデビューするも、つげはヒット作に恵まれず、水木しげるのアシスタントなどで糊口を凌ぐ。
60年代、雑誌「ガロ」に発表した「チーコ」「李さん一家」などで独特の世界観が注目されると、68年、シュールレアリスム的手法を大胆に取り入れた「ねじ式」が大きな評判となり、一大ブームを巻き起こした。
「漫画だけでなく『アサヒグラフ』などで全国の温泉地を回った紀行文や日記を執筆。また中古カメラ売買に手を出したり、喫茶店の開業を計画したりするなど、漫画から離れていくことになった」(同前)
「乞食になりたい」など厭世的な発言も…
一方、実生活では対人恐怖症に冒され、自殺未遂を起こすなどし、何度も活動休止を重ねた。
そして、87年に発表した「別離」を最後に、新作漫画が世に出ることはなかった。
「その後、つげさんはほとんど表舞台に姿を見せなかった。99年に母親と妻を立て続けに亡くしてからは、一人息子とともに人目を避けて生活し、隠遁生活を送っていた。2017年、親しい編集者のインタビューを受けた際には『乞食になりたい』『早く死んでしまいたい』などと、厭世的な発言を繰り返していました」(同前)

