野党と「共有できなかった」と説明する首相の言葉と、年度内成立が実現しなかったとなるや集中審議に首相が出席しないという現実。こうした態度は果たして「純粋」なのだろうか。むしろ別の言葉で説明した方がしっくりくるようにも思える。傲慢という漢字が思わず浮かんだが。

日本の国旗にはないのは「おかしい」と繰り返し主張

 高市首相のそうした姿勢についてジャーナリストの後藤謙次氏は「多くの意見に耳を傾け、議論を経て決断するという思考回路がないからだろう」と書いている(ダイヤモンドオンライン4月3日)。強烈な論評だが、自民党・与党内にも似たような空気があることが紹介されている。

 例えば予算の年度内成立へのこだわりをめぐっても、衆院段階では予算委員長による職権行使が16回に及び、与党内からも「職権委員長」と皮肉られる異例の運営だったと紹介されている。参院側からも「参院側は誰も選挙で高市さんの世話になっていない」との声が紹介されている。多くの意見を踏まえて調整するというよりも、自らの判断を優先する政治スタイルが浮かび上がってくる。

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 後藤氏はこうした状況を、高市氏の「一人で考え、一人で決定する危うさ」と表現している。「高市はXへの投稿の頻度が高い。これも対話、協議を経ずに一方通行で自説、持論を押し通す高市の政治手法の反映といっていい」とも指摘しているが、皮肉なことにそのあと高市氏は集中審議に首相が出席しないという記事に対してXで反論していた。記者相手や国会ではなくSNSでの言論がお好きなようだ。

 これでは「純粋」という言葉で語られる政治スタイルとはまた別の側面が見えてくる。こうした危うさが政策の場面で現れたらどうなるのか。

 例えば首相が長年こだわり続けてきた国旗損壊罪の創設も象徴的な例だろう。外国の国旗を損壊した場合には処罰規定があるのに、日本の国旗にはないのは「おかしい」と首相は繰り返し主張してきた。ただ刑法学者からは、この規定は外交関係の保護が目的であり、日本国旗について同じ論理は成り立たないとの指摘がある。感情としては理解できても法律論としては弱いという評価だ(東京新聞4月1日)。