北関東一帯を席巻したレディース「魔罹啞(マリア)」の初代総長として名を轟かせた廣瀬伸恵さん(47歳)。17歳で覚醒剤の売人となり、22歳で初逮捕。5年の服役を経て出所するも、すぐに売人へ逆戻りし、妊娠中に指名手配されながら逃亡生活を送るという壮絶な半生を歩んだ。現在は建設会社「大伸ワークサポート」の社長として、刑務所や少年院の出所者の社会復帰をサポートしている。

自らの過去を語るのは、同じ境遇にある人たちの更生を助け、再犯を防ぎたいという思いからだという廣瀬さん 写真=志水隆/文藝春秋

 廣瀬さんが覚醒剤の売人を始めたのは17歳のとき。ヤクザの愛人となり、「これを全部売ってこい」と覚醒剤を預けられたのがきっかけだった。「私、持ってますよー!」と手を上げれば買い手がいくらでも集まったといい、「月に200万円から300万円」を稼いだという。

 自身も「たまポン(たまに打つ)」程度に使用していたと話す廣瀬さんだが、それでも覚醒剤の管理には神経を使っていた。「あんまりやっちゃうと、誰に売ったかとかいくら儲けたかとか分からなくなっちゃうから」というのがその理由だ。

ADVERTISEMENT

刑務官に味噌汁をぶっかけ、保護房で歌いつづけた5年間

 22歳で初逮捕となった廣瀬さんは、100グラムの覚醒剤が押収され、「求刑7年、判決5年」という重い刑を受けた。栃木刑務所に入所した廣瀬さんは「制覇してやろう」と意気込んだが、収容されていたのは高齢者や気の弱そうな女性ばかりで拍子抜けしたという。

 しかし「おとなしくしていたわけではない」と廣瀬さんは語る。刑務官に味噌汁をぶっかけるなど問題行動を繰り返し、最後の1年は「保護房」と呼ばれる隔離室で過ごした。紙皿にすべての食事が混ぜて盛られ、拭き紙も与えられない過酷な環境のなか、廣瀬さんは毎日大声で歌いつづけた。「音響がいいんですよ。保護房って、響くから。それが気持ちよくて、ひたすら歌っていました」と話す。

当時の廣瀬さん

 5年間しっかり満期を務めて出所したものの、「刑務所に行ってたのに自分が強いとか偉いとか思い込んでいた」状態はそのままだった。「何の反省もなく、何ら変わることもなく」、出所後まもなく売人を再開。27歳にして「お山の大将」に戻った廣瀬さんの元には、10代目となった「魔罹啞」の後輩たちが次々と挨拶に訪れた。

 その後、好きな人ができて同棲を始めるも、警察のガサ入れをきっかけに逃亡生活へ突入。逃げながら売人で生計を立て、旅先でハマグリや寿司を食べ歩くという日々を送るうち、妊娠が発覚した。病院にも行けないまま逃げ続け、やがてお腹が大きくなるにつれ「そろそろ捕まってもいいかな」と思い始めたころ、逮捕状を持った警察が現れた。廣瀬さんは「正直、逮捕されてホッとしました」と語っている。

 刑務所での壮絶な出産が、廣瀬さんの人生を大きく変える転機となった。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

次のページ 写真ページはこちら