男女間の性差
――自由という意味では、男女間の差が昔に比べて少なくなってきている傾向がありますが、今回、この本では化粧をする男の人の話も出てきますね。実際、男性もたけだけしい人や、「恋をしよう~!!」とぎらぎらした人は少なくなっている気が(笑)。
小池 そうですね。私もそう思ってます。
――そういう、男女の性差が以前よりなくなってきていることに関しては、どう思われますか?
小池 うーん、……平等になって喜ばしい、という以前に、決定的につまらなくなったな、と思うな(笑)。なんかいつの間にか、気がついたらそんなふうになってしまったんだな、という感じで。私や藤田は、団塊の世代の少しあとになりますが、当時の人間は今とは比較できないほどみんな、ぎらぎらしてました。生き方においても恋愛においても。それが当たり前でした。だから衝突もしょっちゅう起こった。女性として猛烈に腹のたつこと、忘れられない出来事も数えきれないほどありました。そうやって、必死になってみんながそれぞれの人生を生きてきたわけですが、ハタと気が付けばまわりでは性差がすべて許されなくなっていて、表向きの平等はいいとしても、なんだか人と人とが遠くなってしまったように感じています。性差についてあれこれ言及したり、逆に本気で相手を褒めたりしても、一種のセクハラと言われてしまうような社会に、いつの間にやら、なり変わったな、という印象です。
男女のことでいえば、男女間で垣根がなくなったという意味では喜ばしいことなんでしょうけど、たとえば表現一つとっても、「髪の毛切ったんだね、可愛いじゃない?」「最近、きれいになったね」と言っただけでセクハラにされるのは、昭和という時代を生きてきた73歳の私にとっては、ショックでもある。
――ちょっと度を越しているようにお感じになりますか?
小池 相手が、可愛い、きれい……と感じることまで否定しなくてはならなくなったのは、いったいなぜなのか、といつも思います。人間の中から自然発生的に出てきた感覚が、すべて性差別になる、ということがよく理解できません。私は昔、フェミニズム以前の、けっこう急進的なウーマンリブの時代に思春期を送った人間ですが、あのころに培った感覚、影響を受けた考え方と現代のそれとが、必ずしも一致しないことが多い。
今、年長の女性が若い男性に対して同じようなことを言っても、よくないこととされていますよね。たとえば、大学出たての、私の息子というより、孫みたいな若い男性が私の担当編集者になってやって来たとして、その人がすごく魅力的な美男で可愛かったとしても、「もてるでしょう。カッコいいものね」なんて言ったら、いけないんでしょうか(笑)。
そういう時代を生きている若い人たちの間で、恋愛が成立しづらくなっているというのは、痛いほど理解できます。
(4回目に続く)
