浜松医大を受けることを知った母は、半狂乱に…
あかりの置き手紙で浜松医大を受けることを知った母は、半狂乱になった。
「『(あかりが)逃亡するかもわからない』ということで、すぐに行ってくれということを言いまして、会社から帰ってすぐに新幹線に乗って行ったときに、ちょうど見つかったんですけれども」(法廷での父の証言)
母から連絡を受けた父は仕事を終えると新幹線に飛び乗って浜松に向かった。職場から浜松までは、京都で新幹線に乗り換えて1時間半ほどである。夕方、浜松医大の門の外で待っていると、ちょうどそこにあかりが現れたのを見つけ、そのまま守山の自宅に連れ帰ったという。
浜松からの帰途、あかりと父とはとくに言葉を交わすことなく、沈黙したままだった。父はもともと寡黙な人だが、あかりも、何を口にしていいか分からなかったのだ。
「私には無理。無理無理無理。」
2月末からは、いよいよ国公立大学の二次試験が始まる。
母の指示によって、二次試験は前期後期とも京都大学の医学部保健学科を受けることになった。
二次試験は英語、数学ⅡB、数学Ⅲ、理科(生物、化学、物理)2科目の選択である。看護学科といっても、京都大学のレベルは非常に高い。合格は到底おぼつかないことは、あかり自身が一番よく分かっていた。
自分を奮い立たせるため、進学情報誌や大学案内などを読んで学生生活をイメージしようとしたが、どこか自分には関係のない、遠い、夢の世界としか思えなかった。
「あかちゃんが本当に必死に勉強してきたんだったら、センターの自己採点が本当にあかちゃんの言う通りなんだったら、看護なんだから、絶対に合格しなくちゃおかしいんだからね。京大とはいえ、看護なんだから」
「はい」
母にはセンター試験の自己採点の結果を全体的に8~9割だと伝えていた。センター試験の時点ですでに合格には程遠かった。受験日までの約1ヵ月、何時間も机に向かって京大の赤本の解答をノートに書き写していた。京大の二次試験は解答をただ書き写すだけでも大変だった。こんな難問を自力で解けるなんて、狂ってる。私には無理。無理無理無理。
「噓だったら、承知しないよ」
「大丈夫、行ってきます」
今日のために1ヵ月、やり過ごしてきたんだから。
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