――そのときには明治大学に行きたいという思いはあったんですか。

佐藤 MARCHのどこかがいいなと思っていました。当初は青山学院、立教もいいなと思っていたんですけど、最終的にスポーツが強く、東京六大学野球もある明治を第1志望にしていました。

 ただ、本番で思うような結果が出ずそこでも失敗して……。「もうここでもいいや」と投げやりな気持ちである大学に入ったんですけど、入学してからやっぱり諦めきれなくて。

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 人生は一度きりだし挑戦したいと思い、親に「ごめんなさい。編入試験を受けたい」と相談して、大学に通いながら編入予備校に行く生活をしていました。

 

周りは“ミスコン出身者ばかり”の厳しいアナウンサー試験に挑戦

――その甲斐もあり、20歳で明治大学の2年生に編入します。そこからなぜアナウンサーを目指すことになったんですか。

佐藤 ある時、中学校の先生から「声が大きいしハキハキしてるから、佐藤さんはアナウンサーに向いてるんじゃない?」と言われたことを思い出したんです。

 ただアナウンサーになる人ってミスコン優勝者であったり、読モであったりとキラキラした方が多い中で「私なんかが目指していいのかな」と気後れする部分もありました。

 それでも、挑戦してみないとわからないじゃないですか? 念願だった明治大学に編入で入れたことで挑戦が大事だと身にしみて感じていたので、やれるだけの努力は自分なりにして、アナウンススクールに通い始めました。

――アナウンススクールに行くと、周りはミスコン出身者ばかりなんですか?

佐藤 多かったです。インターンシップや採用試験は特にすごかったです。みんなネットで名前を検索したら出てくる子ばかりなんですよ。既にテレビに出ている子もいました。

 逆に私は名前を検索してもネットに出てこないので「何をやってる子なの?」とすごく聞かれて。「普通に大学生をやっています」と返していました。

 周りの子はもうネームバリューがある子ばかりだったので、ずっと悩んでもいたんですけれど「でも自分は自分だ」と思うようにしていました。

 

――アナウンサー試験は厳しいことで有名です。キー局から始まり、そこで落ちると準キー局、地方局と試験が続いていきます。

佐藤 大変でした。いろんな子がいるんです。どうしてもアナウンサーになりたくて、全国のテレビ局をひたすら受ける子もいれば、もう東京だけでいいやと諦める子もいます。

 全国各地の試験を受ける子の中には、宿泊費や交通費などがトータルで100万円以上かかった子もいますし、全泊ネットカフェで済ます子もいます。