アイドルを目指しての上京からすでに「アポなし」
――ご両親は反対しませんでしたか?
松本 父親は建設会社の支所長みたいな堅い仕事の人だったので、「地元で親の目の届く範囲で歌ってるのはいいけれども上京するのは反対だ」という感じでした。でも私としては夢を諦めきれず、やっぱり「どうしても行きたい」と。そうしたら、母親が応援してくれたんです。
母は昭和5年生まれですが踊ったり歌ったりが好きだったみたいで、芸能の道に進みたかったんだけれども、女学生時代は戦時中でしたから。叶えられなかった自分の夢を娘に託したいという思いもあったみたいですね。それで「お父さん、応援してあげようよ」と応援してくれました。「やらないで後悔するより、やって失敗して後悔した方がいいよ」と、父親に言ってくれて、母は私の応援隊でしたね。
――何のツテもなく、“アポなし”でアイドルをめざして上京。
松本 そこからはオーディションを受けては落ちる日々ですよ。「ホリプロスカウトキャラバン」に落ち、「HIDEKI(西城秀樹)の弟妹募集!! 全国縦断新人歌手オーディション」にも落ち、ようやく「スター誕生!」で合格して渡辺プロダクションに所属できたんです。そうして事務所が決まったから、堀越の普通科から芸能コースに編入でき、国立市にあった渡辺プロダクションの寮に入れました。
――デビューは17歳でした。
松本 デビュー曲は「♂×♀×Kiss」(オス・メス・キス)! 私もね、聖子ちゃんに憧れてましたから、たとえば「そよ風の乙女」みたいな、そういう感じのアイドルっぽい曲を歌いたかったんですよ。それが「♂×♀×Kiss」という、なんと斬新な……。
――座組は豪華ですよね。
松本 そうなんですよ。森雪之丞さんが作詞、後藤次利さんが作曲。ヒットメーカーですよ。でも、これが本当に売れなくて!
私の1年先輩は「花の82年組」と言われてたんです。松本伊代ちゃん、堀ちえみちゃん、早見優ちゃん、中森明菜ちゃん、キョンキョン(小泉今日子)、シブがき隊。もうそれはそれは大豊作の1年先輩が「花の82年組」でした。その翌年の83年デビュー組は、本当に売れない。みんな鳴かず飛ばず。「不作の83年組」でした。
「お前らは売れないアイドルだから、3人でトリオ・ザ・ゴミと命名しよう」
――そうしたなか「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」に起用されます。
松本 当時は深夜1時から5時までの放送枠でした。小森みちこちゃん、柳沢純子ちゃん、私の3人が呼ばれて「お前らは売れないアイドルだから、3人でトリオ・ザ・ゴミと命名しよう」ということで、番組アシスタントになったんです。
ちょうどその頃は女子大生ブームで、フジテレビの「オールナイトフジ」が大人気でした。それで「オールナイトフジ」と「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」の共同企画で、テレビとラジオの二元生放送をすることになったんです。その番組の生放送中に、鶴光師匠から「爪痕を残せば話題になって、少しはアイドルとして皆に知ってもらえるんじゃないか」ということで、「この四文字(女性器の俗称)を言ってみろ」ってそそのかされたんですよ。

