松本 私はてっきり「お前の部屋はそのままにしてあるから、荷物をまとめて帰っておいで」と言ってくれるんだろうな、と期待してたんです。ところが母親は電話の向こうで大笑いして「でも話題になってよかったじゃない」と。「アイドル歌手なんて、そもそもあんたに似合っていないんだから、これからはいろいろな分野にチャレンジして視野を広げたほうがいいよ」と言ってくれて、その言葉に背中を押され、「よし、じゃあ頭を切り替えていろんなことにチャレンジしよう」と思えたんです。
「姉さん、歌手班にいても居心地悪いでしょ」とバラエティ班に誘ってくれたのは…
――事務所内ではどんな空気だったんですか?
松本 デビュー当時は給料制で月給3万円、源泉引かれて2万7000円でしたけど、仕事がないのに給料をもらうのは切なかったですねぇ。
それから学校も、せっかく芸能コースに移ったのに毎日出席することになったのが恥ずかしかった。堀越高校の芸能コースは、3学年あわせても40~50人くらいしかいなかったので、朝のホームルームは全学年一緒にやるんですよ。そこから学年別に授業があるんですけど、お仕事がある人は学校に来れなかったり早退したりするので、ある意味では「学校に来れない」ことがステータスなんです。でも私は1時間目から6時間目まで毎日授業を受けられる。それが恥ずかしかったですね。なにせ謹慎中ですから、毎日学校に行けちゃう。
――そこからバラエティ路線にはどうやって?
松本 当時、渡辺プロダクションの所属タレントはドラマ班、歌手班、バラエティ班、ロック歌手班に分かれていて、私は歌手班にいたんです。でも事件の後、同じ国立の寮で生活していた2歳下の中山秀征くんが「姉さん、歌手班にいても居心地悪いでしょ。レコードも出せるわけじゃなし、歌のステージをやれるわけでもなし。僕がいるバラエティ班に移ってきたらどうですか」って言ってくれたんです。
――再び編入ですね。
松本 人生2度目の編入ですよ。それでバラエティ班に移って、ABブラザーズさん、中山秀征さん、ホンジャマカさん、ネプチューンさんとか、そういう人たちと一緒にバラエティライブをやったりとか、レッスンを一緒にやったりして、仲間に入れていただきました。その後、「進め!電波少年」に出ることになるんです。
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