「正面を見すえていよう」と決めていたワケ
時間にして30秒か40秒ほどだったけれど、何分間もの長さに感じた。「コメントを!」という叫びとともに、ストロボの閃光が絶え間なく浴びせられ、ひどくまぶしい。
けれど、ここで撮られる姿は、広く世に出まわり、後々まで残るかもしれない。もしここでうつむいたり、上半身を前に倒したりしたら、世間はきっと、
「身に覚えがあるから、顔を隠そうとしたんじゃないか」
と思うだろう。けれど、私はやましいことはしていないし、隠したいこともない。ここは堂々と、正面を向いたままでいるべきだ。
カメラを向けられた瞬間の決断を言葉にすれば、論理的な選択のように響くけれど、実際には反射に近かった。自分のガンクビが撮られはじめたとき、私は瞬時に、
「正面を見すえていよう」
と決めていた。やましいことは何もなかったからだ。
妙な違和感…地検のリークか?
交差点を抜けてメディアをふり切った後、胸の奥に残ったのは妙な違和感だった。
――平光検事が検察庁への同行を求めたのは、家族の前での逮捕を避ける配慮かと思っていた。けれど、検察庁に来てみれば、なぜかメディアが私のガンクビを撮ろうと待ちかまえていた。常識的に考えて、これは地検がリークしたと見るのが自然だ。
「家族の前ではさらし者にしないが、社会に向けてさらし者にする」
というわけだ。メディアに報じられれば、結局家族も目にするのだから、何の違いがあるというのだろう?――
思いかえせば、私が乗せられたワゴン車は、目隠しもされていなければ、カーテンも引かれていなかった。しかも私は、撮影しやすい後部座席の真ん中に座らされた。これでは、あらかじめ待ちうけるメディアに、私のガンクビを撮影させるための配慮をしているに等しい。
まるで、私をさらし者にして、市中ひき回しの刑に処するような演出ではないか。検察庁みずから、被疑者にデジタル・タトゥーを刻みこむようなものだった。
