城内最大の見どころが最終盤に
北城の主郭まで引き返し、今度は北城の西尾根へ。縄張図を見る限り、こちらは期待ができそう。ヤブもなく視界も極めて良好。
するとすぐに、土塁を従えた広大な曲輪が見えてきた。主郭よりはるかに広く、北城最大。いや横山城全域でも一番の広さの曲輪かもしれない。
ところどころ岩を配したハイブリッドな土塁がそそる。しかも100m近くありそうだ。
さらに進んでいった正面にも土塁があり、登山道はそれを避けるように脇へ。たどってゆくと思わず「うおっ!」と声が出た。そのフォルムに感嘆するしかない大堀切だ。
手前から、横から、越えた先から。どのアングルから撮っても惚れ惚れするほど素晴らしい。しかもこの大堀切、その先にはもうひとつ小堀切(?)を従えていた。つまり二重堀切。通り過ぎて振り返ると、見事なまでに地面がうねっている。
小堀切といっても、大堀切に比べてのこと。南城に突入した際に見たあの堀切と規模は遜色ないサイズと深さだ。この東尾根、下ってゆくと石田町の日吉神社に出る。長いので却下した登山ルートだが、こちらから登ってきたら「城内到達のご褒美」がこれだったのだ……。とはいえ、最終盤で出会えるのも、ラスボス感が合って悪くない。
三成が秀吉に見出された「三献の茶」
興奮冷めやらぬまま南城まで引き返し、帰路は西国三十三観音巡拝ルートで観音寺へ下山。やはりこちらの道の方が安全かつ歩きやすかった。距離はほとんど同じぐらいだし、横山城へのアクセスはこのルートがベストだろう。
本堂で無事下山を感謝し手を合わせた後、最後に寄りたい場所があった。冒頭で触れた通り、横山城城下は、秀吉と石田三成が出会った場所。三成の出生地は西麓の石田町とされているが、二人が出会ったのは南東麓の観音寺だ。
三成が秀吉に仕えたのは、姉川の戦いの翌年、1571(元亀2)年頃のこと。初対面は、秀吉が鷹狩りの帰りに観音寺に立ち寄った際だったとか。
寺の小姓だった三成は、1杯目はぬるめを大きな碗で、2杯目はやや熱いものを中くらいの椀で、3杯目は熱々を小さな椀で提供。その気遣いと機転に感銘し、秀吉は三成を召し抱えることになったという。「三献の茶」のエピソードの舞台が、観音寺だったのだ。尚、当時の石田三成はまだ10代前半だった。キレ者過ぎる。
寺のすぐそばには、「三成水汲みの井戸」がきちんと残っており、今も水を湛えていた。秀吉にとって横山城は、自身が初めて任された城であり、有能な家臣を得た場所でもあった。
秀吉の生涯にはターニングポイントとなった場所がいくつかあるが、横山城は間違いなくそのひとつといえる。草履取りから天下人への大出世を、軍事と内政の両側面から追体験できる。横山城、想定以上に魅力にあふれた城だった。






