なぜ日本人が、ロヒンギャ難民の映画を撮るのか? と問われた藤元明緒さんは「えー……」と口籠り、小さく笑った。「いちばん難しい質問ですね」。

藤元明緒監督 撮影=志水隆/文藝春秋

 過去2作品の主人公は東南アジア出身の移民。でも舞台は日本で、登場人物には日本人もいた。翻って本作は、全編ロヒンギャ語&オール海外ロケだ。日本の要素はまったくない。よくぞそんな「遠い世界」を描いたなぁと思っていたら、藤元さんが「ぼくは基本的に半径5メートル以内で起きたことを映画にしていて」と話し出したから驚いた。藤元さんにとってロヒンギャ難民はずっと心の中にいた、しかしずっと封印していたテーマだという。

「2013年にミャンマーの映画をつくる話が舞い込んで、在日ミャンマー人の取材を始めました。そこでロヒンギャの悪口を聞かされて。実際にロヒンギャに会ったことがない人まで『あいつらに気をつけろ』なんて言うんです。それで逆に興味を持ちました」

ADVERTISEMENT

ロヒンギャ弾圧に声を上げられなかった過去

 日本のミャンマー人コミュニティでもミャンマー本国でも、ロヒンギャはタブー視されてきた。17年に起きた国軍による大規模な武力弾圧も国内では一切報じられない。ミャンマー人とのつきあいが濃くなるにつれ、藤元さんもまたロヒンギャとは関わらないほうが無難という考えに流されていった。

 そして21年2月1日、ミャンマー全土で軍事クーデターが起きる。藤元さんは、命がけで抵抗するミャンマー市民に寄り添うべく、日本国内で支援や発信を続けた。

「でも振り返ってみると、ぼくは2017年(ロヒンギャ弾圧)の時は声を上げなかった。明確に区別したってことが自分の中で重くて……。そこで初めて、ロヒンギャを題材にした映画を撮りたい、たとえ映画がつくれなくても彼らに会って話を聞いてみたいと思いました」

©2025 E.x.N K.K.

 藤元さんが訪ねたのは、あるイスラム教の国。ロヒンギャ難民を支援する団体や子どもたちが通う学校を手がかりに取材を重ねた。約1年かけて数十人から聞き取りをするうちに、国境越えの逃避行を描く物語が見えてきたという。「彼らから聞いた印象深いエピソードはありますか」と尋ねたら「悲惨すぎて映画にできない話も多くて……」と藤元さん。たとえば船にぎゅうぎゅう詰めになっての密航では、死者が出ることも珍しくないし性被害も頻発する。