――桐野さんは「村野ミロシリーズ」でも韓国を登場させています。『ダーク』のなかで、ミロは福岡で出会った韓国人男性・ジンホとともに、偽装パスポートで韓国にわたります。1980年に起きた光州事件(学生や市民による民主化要求運動を軍部が武力弾圧し、多数の死傷者を出した事件)についても紙幅を割かれていますね。
桐野 戦争体験の痛みや傷を、いまも抱えながら生きていることに目が留まるのかもしれません。今でも徴兵制がありますし、朝鮮戦争は熾烈な思想戦的な面があって、同じ民族が今でも戦っていることの痛みをとても感じます。『ソウルの春』や『国際市場で逢いましょう』などの映画を見ても、苛烈な政治闘争の歴史があり、民主主義や国に対する考え方も日本とは違うように思います。同じ民族としての分断、国としての成り立ちが、興味深いです。
『ダーク』執筆の1990年代後半には、福岡から釜山まで高速船に乗り、取材に赴きました。光州事件の資料館にも足を運び、写真集を買い込んで夜中に一人で眺めていました。市民がたくさん亡くなりましたね。あの残酷さはいまも目に焼き付いています。当時は韓国ドラマなどは知りませんでしたが、歴史的な面は以前から興味がありました。
「転落する男」を描きたい
――本作は、テミンという俳優の独白(モノローグ)によって物語が進行します。彼の10代から始まり、30代で俳優デビューを果たし成功するまでの「青春小説」であり、同時に彼が語る「ナダン」という男の転落劇でもある。モノローグという形を選ばれたのには理由がありますか?
桐野 韓国芸能界を描く、というより、今作は大成功した後に、「転落する男」を描きたいというところから始まりました。若いころに脚光を浴びて、その後崩れてしまう人。一度天国と地獄を味わった人は何かをつかんでいると思いますし、いびつな人の持つ美しさやカッコよさはあります。そのいびつな美しさと周囲の反応、という対比が描けたらいいと思いました。その激しさにおいては、競争の激しい韓国芸能界がモデルとして相応しいのではないかと思ったのです。
韓国では日々さまざまなスキャンダルが持ち上がり、そのたびに苛烈なバッシングが巻き起こり、なかには自死を選んでしまう人もいます。強烈な光を放つからこそ、影の部分が気になります。自死した俳優のイ・ソンギュンや、元東方神起のユチョン、キム・スヒョンやユ・アインといった、韓国芸能界のスターたちの姿を見て、彼らがそれでも放つ魅力や美しさにインスピレーションをもらいました。
今作は、「終わった男」と評されるナダンの転落劇ではあるのですが、実は視点人物であるテミンも変わっていきます。ナダンもテミンも、芸能界のなかで「求められる役柄」を演じるなかで、自分を見失っていき、もともとの自分から乖離していく。語るテミンと、語られるナダン、どちらもが変容していく二重構造ですね。そしてそれは彼ら「芸能人」だけにとどまらず、一般社会に生きる我々もまたそうなのではないかと思います。

