何度もオーディションを落とされ…
それからというもの木村は渡邊とともに売り込みにまわる。ときには冷たくあしらわれながらも、この年の秋、翌1996年1月スタートのNHKの連続ドラマ『元気をあげる~救命救急医物語~』の主演に抜擢され、デビューが決まった。このとき、メディアでは「NHK大胆抜擢」などと報じられたが、けっして易々と役を得たわけではない。オーディションを何度か受けて一旦は「難しいですね」と落とされながらも、再度呼び出しがあり、面接を受けてようやく受かったのだった。これに合わせて渡邊は木村の所属先としてトップコートを設立する。
もちろん、木村の試練はここからだった。何しろ彼女はそれまで、高校時代に父の仕事の関係で日本航空のCMに出たことはあったものの、本格的な演技経験はまったくなかった。それだけに撮影では落ち込むこともしばしばだったが、木村はハリウッドの映画監督ビリー・ワイルダーの対談集で、あのオードリー・ヘップバーンも特別に演技を習ったことがないと知り、それを心の支えとしたという。
デビュー作『元気をあげる』では新人医師の役だったので、役作りのため医大に通い、専門用語を覚えたり医療器具の扱い方を教わったりした。手術の様子も見せてもらったが、血が苦手な彼女は気持ちが悪くなってクラッと来てしまったとか。
ロンドン生まれ、「お嬢様女優」とよばれて
そうした真摯な態度が評価されたのだろう、デビュー時より出演依頼が殺到する。NHKのドラマと前後して、民放でも出演ドラマ『銀狼怪奇ファイル~二つの頭脳を持つ少年~』(日本テレビ系)がスタートし、以後、1996年のうちに『将太の寿司』(フジテレビ系)、『協奏曲』(TBS系)とあいついで連続ドラマに出演した。翌1997年には人気シリーズとなるドラマ『スチュワーデス刑事』の第1作(フジテレビ系。木村は主演の財前直見の後輩役でレギュラー出演)が放送されたのに続き、渡辺淳一のベストセラー小説が原作の『失楽園』で映画デビューも果たし、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞する。
デビュー当初の木村には「お嬢様女優」のイメージがつきまとった。『スチュワーデス刑事』の役柄が帰国子女だったのと同じく、彼女自身、父親の赴任先であるロンドンで生まれ、中学時代はニューヨークですごした。趣味は乗馬、フルートとプロフィールに挙げていたことも、このイメージをさらに増幅させた。
