古川さんは悩んだ末、西口を油断させたまま家の一部屋に泊め、寝ている間に警察を呼ぼうと決心。まず別部屋の一つに鍵を取り付け、家族をそこに避難させた。鍵を打つ間は、絶対に気づかれないよう音に注意し、妻が西口の話し相手となり気を逸らせた。

警察へ相談すると⋯

 23時過ぎ、西口の部屋の電気が消え、眠りについたことを確認すると、古川は妻と長女を玉名署へ送った。同署は指名手配中の連続殺人犯がこのような辺鄙な町に来るとは予想していなかったため、逃亡犯を逮捕するのに十分な人員を集めるには数時間かかると2人に伝え、いったん家に帰らせる。

 その後、調べたところ、男が名乗った「川村覚次」という弁護士は東京に実在していたが、確認のため電話すると川村弁護士は東京の自宅にいることが判明。熊本県警本部にも連絡のうえ大量の捜査員を動員し、古川家を取り囲む。

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 1月3日午前4時ごろ、西口は早起きして一家に挨拶したが、異変を感じたのか、急いで荷物をまとめ、すぐに福岡へ向かわなければならないと告げた。が、家を出ようとした瞬間、包囲していた警察官によってあっけなく逮捕。逃亡生活は78日間で終わりを告げる。

懲役は⋯

 逮捕に際し、警察庁長官は「(これまで動員された)警察官12万人の目は、1人の少女の目にかなわなかった」というコメントを発表した。

 行橋署に護送された西口は素直にこれまでの犯行を認めたうえで、折を見て古川さん一家を皆殺しにして金を奪い、沖縄に逃亡する計画だったと供述する。

 福岡地裁小倉支部で開かれた一審で、検察側は論告にあたり西口を「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と形容し死刑を求刑、1964年12月23日に同地裁は求刑どおり死刑を宣告する。

写真はイメージ ©getty

 判決文には「悪魔の申し子」と書かれていた。翌1965年8月28日に福岡高裁が控訴を棄却し、1966年8月15日に西口自ら上告を取り下げたことで死刑が確定。福岡拘置所に収監された西口に対し、危うく殺されかけた古川さんは「犯罪者は心の病気」という信念のもと、罪を憎んで人を憎まずの精神で文通を続けた。