「怪異」はこの世にあってほしいもの
――大矢博子さんの「文庫解説」にもありましたが、「首ざむらい」と、同時収録されている3編(「よもぎの心」「孤蝶の夢」「ねこまた」)には、「過去を乗り越える」という共通のテーマがあります。以前のインタビューで、由原さんは「困難を抱えて生きていくことに求めるものがある」とおっしゃっていましたね。なぜあえて、そういう部分を書かれるのでしょうか。
由原 自分自身、かつて生きづらさを感じていたことがありました。世の中と反りが合わないというか、居心地が悪かった。だからそういう気持ちを持っている人を主人公にもってきて、抱えている孤独や困難を書いてしまいますね。
それが年を重ねていくと、それまでの価値観がポンッと変換する瞬間があるんです。どういう瞬間かというと、自分のなかにある嫌な部分や弱さと向き合えたとき。普段は、自分の嫌な部分は、無意識のうちに見まいとするでしょう。でも、だからといって仏のように悟ってしまうかというと、人間そうもいかなくて、また次の困難や生きづらさがやってくる――。
私は長い間、作家を目指してきましたけど、人生の本当の目的は、悔いなく生ききった達成感を得て、未練なくこの世から消えること。自分のなかにあるものしか、自分は書けないし、書くことに対してはずっと正直でありたい、と思いますね。
――由原さんにとって、ずばり「怪異」とは何ですか。
由原 人の心を正すために、この世にあってほしいもの、ですね。「よもぎの心」でも書きましたが、河童のような恐ろしいものがいてくれないと、懲らしめられない小悪人って、いるでしょう? 怪異がなければ自分の手を汚して、仕返しをしないと気が収まらなくなる。
私、子どものころから独り言が多かったんです。『おりせ人形帖』で主人公のおりせが人形の声を聞いて会話をするように、私もずっと人形と話していたみたいで(笑)。そうやっていろいろなことを、自分で解決していたんでしょうね。
超人的なもの、「妖かし」って、ホッとする神秘的なもの。人が人らしく生きるのに必要な存在だと思います。
――今回、文庫で初めて手にとる読者に向けて、ぜひメッセージをお願いします。
由原 文庫になったら読んでみたいと思っていらした皆さま、大変お待たせしました。
正直言って、「首ざむらい」はとんでもない話で、この由原という物書きはふざけた奴だと呆れられるかもしれないけれど、それも覚悟のうえで書きました。
本文のなかで、「分かち合う者のない思い出は、夢まぼろしと変わりませぬ」という言葉が出てきます。これはその通りなのだけど、その逆も言える。夢まぼろしであっても、分かち合う者があれば真実となる。この物語も読んで下さった方々のなかで生き続ければ、もう夢でも幻でもありません。
本を開けばいつでも会える、物語のなかの人々がそんな心の友になってくれたら、書き手としてはとても幸せです。
