感情を大きくかき立てた3つの要素
また、今回の事件は、人の感情を大きくかき立てる事件であったことも関係している。児童の行方不明、家族関与の疑い、死体遺棄という要素は、不安、怒り、悲しみなどを同時に刺激する。
感情を強く動かす情報ほど、人は他者と共有したくなる。SNSについての研究でも、怒りや驚きを喚起する投稿は拡散されやすいことが知られている。冷静に「まだ分からない」と述べる投稿より、「真相はこれだ」などと断定する投稿の方が注目を集めやすい。そして、それが曖昧さに答えを与えてくれるようなものであれば尚更だ。
つまり、情報の正確性ではなく、感情の強さが拡散力を決める構造がある。これがデマや誤情報の温床となる。SNSは民主的な情報空間である一方、感情増幅装置でもある。
事件をエンタメ化して消費する社会
さらに見逃せないのが、重大事件が参加型コンテンツ化している点である。本来、事件報道とは、国民の知る権利を守るために社会に重要な情報を伝えつつ、権力を監視し、市民の安全意識と公共的議論を促すことにある。
しかし、今回の事件報道では、事件が「考察ゲーム」「推理コンテンツ」であるかのように、長時間にわたって過剰な報道がなされ、事件報道の目的などはどこかに消し飛んでいるかのように見えた。
SNSにおいては、そもそもそのような目的など最初から存在せず、今や無法地帯化している。特に、多くの閲覧数を得ると収益化できるようなシステムの下では、目先の利益に目がくらんだ人々が、競うように注目を得られる投稿をすることが日常化している。
そこでは、事実かどうかや関係者の人権、他者への迷惑などは二の次となり、どれだけ突飛な投稿をして注目を集めるかが最大の関心事となっている。
情報の受け手たちも、最初は被害者に対する心配や同情、加害への怒りがあったかもしれないが、自分たちから遠い場所で起こった不可解で残忍な事件に対して、徐々にそれを「エンタメ化」して消費するようになっていったかのようだった。