非日常的な事件や事故を「楽しむ」傾向
そもそも、人は非日常的な事件や事故を「楽しむ」傾向がある。これにはいくつかの心理学的な理由がある。
第一に、進化心理学的な脅威モニタリングである。危険な事象に注意を向けることは生存上有利であるため、事件事故は人々の強い関心を引く。現代社会では直接的な危険が少ないため、他者の不幸や犯罪が「安全な形での疑似体験」として消費される。
第二に、覚醒水準の調整であり、これを刺激希求と呼ぶ。日常が単調であるほど、恐怖や驚きを伴う情報は覚醒を高め、興奮や没入をもたらす。これが「怖いが見てしまう」という反応を生む。
第三に、社会的比較と自己防衛である。他者の不幸に触れることで「自分はまだ安全だ」という相対的安心を得る。これを下方比較と呼ぶ。
事件事故を扱ったドラマや映画がヒットし、多くの人がそれを楽しんでいるのは紛れもない事実である。そして、その関心は、フィクションにとどまらず、現実の事件事故に対しても同じように向けられる。こうして、狂乱報道のなかで、人々の関心は、事件への心配や不安から、事件をエンタメ化し消費する方向へと堕落する。
今回、過剰な情報狂乱は、東北で発生した地震およびその報道を境にピタッと収束した。それは、マスメディアが地震報道に時間を割く必要があったことと、受け手のほうも、この事件の報道に「飽きた」からだろう。
誤情報の害
事件報道において誤情報の代償は大きい。無関係な人物が疑われ、地域に風評被害が生じ、遺族は二次被害を受ける。
あるタレントは、「母親は何してんのよ」「母親にものすごい怒りを感じてる」などとSNSに投稿し、悲しみに打ちひしがれているであろう家族にまで追い打ちのような攻撃を向けた。
さらに誤情報は、警察の捜査を妨害することにもつながりかねない。秘匿捜査をしている警察の邪魔をしたり、誤情報に騙された市民が警察に情報提供をしたりする危険性がある。
