大丸や松坂屋を展開するJ.フロント リテイリングの社長をつとめた好本達也氏は、20年にわたり旗艦店・大丸心斎橋店の婦人服を担当した経歴の持ち主。百貨店業界が陥っている長期停滞の要因を、好本氏が分析した。多くの百貨店が推進した“あるビジネスモデル”に3つの落とし穴があったという。
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私はバブル前夜の1979年に大丸に入社して以来およそ20年間、旗艦店である大丸心斎橋店の婦人服を担当していました。当時の百貨店は、現在よりも女性のお客様のシェアが高く、婦人服売場は「店舗の要」という位置付けでした。百貨店が最も活気づいていた時代を“ど真ん中”で過ごせたことは、とても幸運だったと思います。
若手の頃は“6勝4敗”くらいの試行錯誤を繰り返しながら商売のいろはを学びましたが、実のところ喧伝できるような挫折や、派手な失敗もありません。けれども今振り返ると、2000年代、茹でガエルのように自らゆっくりと衰退の道を進んでいった、業界全体の大きな失敗の中心に身を置いていたのです。
バブルが崩壊し、1991年をピークに百貨店の売上が下降し始めた頃、婦人服売場はむしろ勢いづいていました。その理由は、団塊ジュニアが成人し続々と社会人になっていったからです。キャリアファッション向けのブランドがいくつも登場し、ファッション雑誌で人気のモデルが身にまとい、ドーンと売れる、そんな時代を婦人服売場は謳歌していました。
それまでの百貨店にはセーター、ブラウス、コートといったアイテム別の売場があって、百貨店のバイヤーが構成を考え自ら仕入れていましたが、1990年代以降はショップが主体となり、品揃えや販売をアパレルメーカーに任せて、売れた分だけを百貨店が仕入れる「消化仕入れ」がスタンダードになりました。主導権を得た各ブランドは、流行を察知すると即座に増産するシステムを編み出し、商品の流通サイクルはどんどん短くなりました。
