終戦からわずか5ヶ月後の1946年1月、和歌山市で凄惨な事件が起きた。一家の主人の実弟・大橋一雄(当時26歳)が、兄夫婦とその子供たち計8人を手斧とノミで惨殺したのだ。

写真はイメージ ©getty

「全てを水に流そう」と誓った男を豹変させた物まね

 大橋は9歳で父を亡くし、15歳年上の兄・勝一のもとで育った。兄嫁・伸枝は、もともと家族に反対された相手であり、老いた母親との折り合いは年を追うごとに悪化。暴力を伴う「姑いじめ」が横行するようになり、大橋は一人心を痛め続けた。

 1940年に現役志願兵として軍に入隊した背景には、「家の空気に耐えられなかった」という事情があった。

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 入隊後に母が危篤との報を受けて帰省するも回復し、帰隊から3ヶ月後、今度は本当に母が他界。大橋は虐待による死を疑い、兄夫婦を殺害しようと帰省したが、死因は心臓麻痺とされ、伯父になだめられた末に思い留まった。

 戦後、1945年10月に復員した大橋は、兄一家のもとに身を寄せる。温かく迎えてくれた兄夫婦に「全てを水に流そう」と決心し、しばらくは穏やかな日々を過ごした。しかし1946年1月27日の夕食中、兄嫁が母の最期の様子を語り出した。

「お母さんの最期は苦しんでね。寝ていた布団からはみ出して、こう、のけぞって喉をかきむしって……」

子供を含む8人を殺害

 苦悶の形相を真似る兄嫁の姿を目の当たりにし、大橋のスイッチが入った。2日後の深夜、彼は兄(42歳)と兄嫁(41歳)、さらに「両親がいなくなって不憫」という身勝手な理由で16歳から3歳までの子供6人も手にかけ、計8人を虐殺した。

 事件後は「母の敵討ち」と自己正当化する書き置きを残して逃亡。長崎の炭鉱で偽名を使いながら生活し、約2年後の1948年3月に「良心に反する生活が嫌になった」として大阪の新聞社に出頭、その場で逮捕された。

 死刑判決が確定したものの、無期懲役へと減刑された。

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 なぜ「死刑」から「無期懲役」に⋯⋯事件の詳細は以下のリンクからお読みいただけます。

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