1946年(昭和21年)3月、東京・渋谷の自宅で歌舞伎役者・十二代目片岡仁左衛門一家5人が斧で撲殺された。
犯人として逮捕された同居人の飯田利明(当時22歳)は「食べ物の恨み」を動機として供述し、裁判でも無期懲役の判決が下った。しかし事件から77年後の2023年、奇跡的に難を逃れた遺族がその“真実”を口にした。
「申し訳なかった」――獄中から届いた詫び状
事件発覚のきっかけは、1946年3月16日の朝だった。登志子夫人の母親が訪ねると戸は閉まったまま。
裏手の雨戸から室内に入ると、仁左衛門(65歳)、登志子夫人(26歳)、三男の三郎くん(2歳)、子守の岸本まき子さん(12歳)、使用人の榊田はるさん(69歳)の5人が血の海の中で息絶えていた。
逮捕された飯田は、配給米をめぐる夫人との確執や極端な減食措置を動機として供述。その内容は連日報道され、「食べ物を与えず恨まれた家」という印象が世間に広まった。
「嘘の供述をした」
ところが、事件から数年後、生き残った娘・照江さんのもとに獄中の飯田から詫び状が届く。そこにはこう記されていた。
「弁護人から犯行動機を食べ物の恨みと言えば減刑されると聞いて嘘の供述をした。申し訳なかった」
照江さんによれば、片岡家では住み込みの人々とも区別なく食事をしており、父・仁左衛門は知人の遺児である飯田を常に気にかけていたという。
本当の動機は「単純に金」であり、飯田が楽屋に出入りするようになってから紛失物が増え、周囲も注意を促していたとされる。
さらに、凶器についても飯田の供述とは食い違いがある。
飯田は「廊下に立てかけてあった薪割り斧につまずいたのが犯行のきっかけ」と語ったが、照江さんは実際の凶器はマサカリ状の薪割りで、近所に住んでいた警察関係者の家にあったものだと証言している。
◆◆◆
なぜ、誤った情報が77年もの間まかり通ってきたのか⋯⋯? 【事件の詳細】は以下のリンクからお読みいただけます。
