「まるで血の海」――。

 戦後間もない東京で、歌舞伎界の名優の自宅が凄惨な現場と化した。一家5人が殺害され、2歳の幼児までもが命を奪われるという前代未聞の事件だった。

 5人を殺害した犯人とは? 鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

ADVERTISEMENT

写真はイメージ ©getty

◆◆◆

歌舞伎役者一家5人を殺害

 1946年(昭和21年)3月、歌舞伎役者の十二代目片岡仁左衛門一家5人が殺害された。まもなく同居していた作家見習いの男が逮捕され、「食べ物の恨み」が動機と供述したが、事件から77年後の2023年(令和5年)、生き残った遺族が真の犯行理由は別にあることを明かした。

「仁左衛門」は江戸時代から続く歌舞伎界の名跡で、関西歌舞伎の特徴である色気や気品あふれる芸風で知られる(2024年10月現在は、十五代目片岡仁左衛門=本名・片岡孝夫が名を継いでいる。屋号は「松嶋屋」)。

 その十二代目に当たる片岡仁左衛門は1882年(明治15年)、十代目片岡仁左衛門の養子として東京府浅草区(現・台東区)に生まれ、3歳のとき本名の片岡東吉で千歳座(現在の明治座)で初舞台を踏んだ。

 以後、関西を中心に男役も女役も演じられる芸の幅が広い役者として活躍したが、50歳を過ぎたころ、女形が不足していた東京の歌舞伎界に招かれ上京。1936年(昭和11年)に十二代目を襲名し、十五代目市村羽左衛門(1874-1945)の相方を多く務めた。

 私生活では妻むつとの間に1910年(明治43年)に長男一(後の十三代目片岡我童。1993年没)、1918年(大正7年)に次男義直(後の二代目市村吉五郎。2010年没)、1926年(大正15年)に三男大輔(後の六代目片岡芦燕。2011年没)を授かったが、1937年ごろから39歳も年下の日活映画の女優・小町とし子(1921年生。本名・吉田登志子。1940年引退)と不倫関係となり、1941年に正妻のむつが病死したため、1942年に周囲の反対を押し切り登志子さんと再婚。同年、娘の照江、翌年には四男三郎を授かった。

 事件が起きるのはその3年後のことである。