SNSの喧騒を離れ、「宿題」を持って散歩に出よ
では、反芻のための余地を設け、素材を選んだとして、どうするか。
散歩に出かけます。
散歩が思考にいい、というような話はどこかで聞いたことがあると思います。アリストテレスもカントもダーウィンも西田幾多郎も散歩していたことで有名です。もっと素朴な次元でも、散歩やシャワーといった「なにも考えていない」時間にふとひらめきを得る、そのような経験は誰にでもあると思います。
ヨハン・ゴットリープ・ベッカー(1720-1782), Public domain, via Wikimedia Commons
しかしわたしは、親に「小さい頃からボーッとしているのを見たことがない」と言われるほど、ボーッとするのが苦手です。だから、あまりボーッとする系のアドバイスには向いていない。ここでは、もっと積極的に散歩を、反芻というか、勉強のツールとして使うことを提案したいと思います。
その方法は、ひとつだけ「宿題」をもって出かける、というものです。
その宿題は、あなたがいま取り組んでいる仕事のうち、困難な部分が望ましい。出かける前に、すこし時間をかけて、思考するに足る問題がどこにあるのか、それだけを整理して、出かけます。あまり刺激の多くないところを歩くのがいい。同じ範囲を行ったり来たりするのもオススメです。
しばらく歩きながら、その反芻の素材に意識がフォーカスし始めるのを待ちます。ここで対象の候補がいくつもあるとダメです。だからひとつだけ決めて出かける。SNSの喧騒に毒されたわれわれの脳にとって、この散歩は、ほとんど瞑想のような感覚に近いものです。
その結果として、当初の問題が解決しなくてもかまいません。自分が「なにかひとつのことを時間をかけて反芻し、思考を進める」という経験からいかに離れてしまっていたのか、いかに集中することがヘタになっているのか、そのことに気づくだけでもいい。他人の「ためになる」言葉にチラチラと脳を晒していることが、いかに勉強の妨げになっているか、それをまずは味わってほしいのです。
アメリカ留学中にSNSを完全断ち。2年目に起きた驚きの「勉強の成果」
ひとつ個人的なエピソードを紹介します。わたしはアメリカ留学中、3年ほどSNSを完全に断った時期がありました。
わたしの分野では、日本とアメリカで研究のカルチャーがまったく違います。ほとんど別の研究分野だと言ってもいいくらい。わたしは日本の大学で10年ちかく教育を受けてから留学したので、どうしても日本の枠組みから抜け出せませんでした。しかし、そこから脱却できないと、アメリカで論文を出版することはできません。
そこでわたしは、この3年間、日本語の文章に触れることをみずからに禁じました。もちろん、日本語の全面禁止はストレスフルであり、現実的ではありません。あくまでも、「日本語の文章」です。
なぜか。日本人が書いた日本語の文章には、日本特有の「なにか」がある。日本のカルチャーにどっぷり浸かっていたわたしは、それがなんなのか具体的にはわかりませんでした。しかし、それがわからないということ、「自然」に見えてしまうということがつまり、自分が日本のカルチャーの外部に出ることができていないことの証左であるはず。だからわたしは、そのカルチャーの内部で思考する――反芻する――ことを回避するための条件として、日本語の文章に触れることを禁じたというわけです。
このとき想定していたのは日本語の論文や研究書がメインでしたが、わたしはSNSで、もちろん日本人の大学教員をたくさんフォローしていました。彼らはかならずしもSNSで研究について語らないわけですが、しかし、彼らは日本のアカデミアのカルチャーの内部に生息し、そのなかから普段のなにげない発信もしている。その「自然さ」が、わたしの勉強を条件づけてしまう。
そうして2年が経ったころ、わたしはようやくアメリカの研究が見えてきました。同時に、上述した日本特有の「なにか」も見えてきた。これはつまり、語彙、話題、主張、論法、図式、口調、その他もろもろの「素材」の全面的な入れ替えが起こったということです。これに時間がかかった。そして、それはまさしく「勉強の成果」と呼ぶにふさわしい飛躍をわたしにもたらしました。
ここで重要なことは、わたしのSNS断ちが成功したのは、それが目的ではなく手段だった、というところにあります。SNS断ちは、ただやるだけでもポジティヴな効果がありますが、SNSをやめれば賢くなる、という単純な理解では効果は薄い。その本質は、思考のリソースを何に使うかを、自分で選択しコントロールするということです。
そのためには、そこに有用な情報があるかもしれないSNSという喧騒から、おもいきって耳をふさぐ必要がある。そうして、ほとんどなにもない空間をうろうろしながら、ひとつのことに向き合うことの重要さを思い出す。
今回はそういうお話でした。

