出発点が普通の職業ではなく天の使命と云う所から踏み出しましたし、学校がまた犠牲献身と云うところから教えて行きますので、同じ看護をするにも真剣に看護する様教育されました(大関和子「献身の覚悟で看護婦となる」『婦人之友』7巻11号)。

ようは「神に選ばれた私が、使命として看護をする」ということである。これはもう、気合の入り方が違う。

「やりがいを感じて」とか「患者さんの笑顔が励みで」なんて意識とは、根本的に構造が異なる。もちろん「手に職をつけたかった」なんてことはない。大関和の場合、看護そのものが信仰の実践なのだ。神の命令なのだから、手を抜く理由がない。患者が感謝しようがしまいが、関係ない。神が見ている。いや、古今東西、だいたい神様は見ているものだけど、当の神様も「そうは、いってないんだけど」といいそう。

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猪突猛進、というのはそういうことである。もちろん、当時としては最先端のことをやっているわけだから「私、いま世の中の先頭を走ってる」という高揚感はあるはずだ。現代でいえば、最新のAIツールを使いこなして業務を改善している人みたいに。

“信仰ある看護婦が必要”と教わった和

なにせ、和の学んだ櫻井女学校附属看護婦学校はできたばかり、教師はアメリカ人だし、使っている教科書は全部英語である。そんな状況で学んでいたら、自己肯定感も増してさらに猪突猛進になるのはいわずもがなだ。

しかも、学校の教育方針も熱い。和は創立者であるマリア・T・ツルーにこう教わったと記している。

ミセス、ツルーは常に私共に対して、看護婦の責任の重大なるを教え、且つ国を強くするには人を健全にせねばならぬ、人を健全にするには信仰ある看護婦がなければならぬ。私はにほんのために善良なる看護婦を養成せんとて、慈善家の賛助を求むる画、お国は一向同情して呉れず、思うように拡張することが出来ない。どうかあなた方が責任を自覚して献身的に働いて貰いたいと、繰り返し繰り返し教えられました(大関和子「献身の覚悟で看護婦となる」『婦人之友』7巻11号)。