タブロイドらしい下世話な嗅覚(失礼)だが、権力の発信の“意図”を考えるという意味では、こういう存在も大事なのかもしれない。「本当にそうか?」と嗅ぎ回るメディアがいることは、むしろ健全とも思える。ちなみに、内閣広報室の「試行アカウント」は、日刊ゲンダイの記事には今のところ反応していない。
SNSでは、追加の質問も追及もない…
さてここまで読むと、空気を読まない姿勢も必要という「タブロイド的な嗅覚も案外必要なのか、という話」に見えるかもしれない。だが少し真面目なことも書いておく。
政府はスポーツ選手のような一個人ではない。政策を決めるだけでなく、情報そのものを集め、整理し、発信する側でもある。そんな政府が“答え”まで示すようになる。
報道が間違っているなら、もちろん訂正は必要だ。ただ、SNSはずいぶん便利な場所でもある。会見ならそうはいかない。「何が違うのか」「なぜそう言えるのか」と問われるからだ。実際、高市首相もXでの発信を多用している。直接発信そのものが問題なのではない。だがSNSでは、追加の質問も追及もなく、“答え”だけを示すことができる。しかも最近は、首相個人だけでなく、政府の公式アカウントまでそれに加わっている。となれば、その影響はもっと大きくなる。
実は、スポーツ選手のケースでも、本人の説明だけですべてが完結するわけではない。大事な自己説明ではある。だが、そこにプレーヤーとしての思惑がゼロとは限らない。だからこそ、取材席からの論評や検証も必要になる。まして相手が政府や首相ならなおさらだろう。
権力の側が「答え」を発信し、それがそのまま“正解”として広がっていく。監視されるべき側が、“正解”を示す側になってしまう。それで本当にいいのだろうか。
