必死の全力プレーが、皮肉にも最悪の結末につながってしまった。甲子園球場で行われた14日のヤクルト戦の4回。ヤクルト・井野卓の放った三遊間への深いゴロに遊撃手・北條史也は、外野へ抜けさせまいと、迷うことなく体を投げ出した。

 懸命のダイブで、グラブにボールは収まった。だが、立ち上がって送球動作に移るはずの背番号2は、苦悶の表情を浮かべて立ち上がれない。二遊間でコンビを組んでいた糸原健斗らナインが駆けつけ、事態を察知した聖地の観客も、静まり返るしかなかった。

 そのまま、左肩を固定され、担架で運ばれ退場。北條の戦線離脱が決まった瞬間だった。翌日、球団から大阪市内の病院で「左肩の亜脱臼」と診断されたことが発表された。その場では全治未定とされたものの、今季中の復帰は極めて厳しいと言わざるをえない故障だと予測できた。

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左肩の亜脱臼で戦線離脱となった北條史也 ©スポーツニッポン

 勢い十分に、レギュラーへの道を切り開きかけていた24歳に、野球の神様は試練を与えたのだろうか……。6月に今季2度目の昇格を果たすと、打率.322、チームで3番目に多い8度の猛打賞を記録するなど、不振に終わった昨季の鬱憤を晴らすように快音を奏で、スタメンに定着。そんな矢先のアクシデントだけに、本人の落胆は、想像に難くない。

これまで何度か“生傷”を見てきたが……

 8月のある日、早出練習のため一番乗りで球場に姿を現した北條が、少しだけ足を引きずっているように見えた。気になったので確認すると、苦笑いを浮かべ「見ますか?」と、ユニホームのズボンをまくり上げた。目に映ったのは、異様なほど大きく腫れ上がった右膝。聞けば、直近の試合で一塁走者として出塁した際、捕手のけん制に帰塁したタイミングで、地面に膝を打ちつけたという。

「こんだけ腫れてるんで水が溜まってるんですかね? でも、内出血してないですし、全然大丈夫ですけど」

 変ぼうした膝を見て「うわっ……」と顔をしかめる僕の反応をどこか楽しむように、北條は表情を緩めた。ケガのアピールをしたかったのではない。むしろ「弱み」を見せることで“こんなケガに負けませんよ”と、言い聞かせているようだった。

 入団してからの6年間、何度か“生傷”を見た。打撲や、内出血で足全体が紫色に変色した捻挫もあったが「試合に出ないと、何もアピールもできないですから」と、故障を理由に欠場した姿は、ほとんど見たことがない。だからこそ、隠すことも、我慢することも不可能に思えた今回のアクシデントを恨みたくなってしまった。捕球して、仮に送球できていても、セーフの可能性が高かった打球に飛び込む必要があったのか。そんな声も聞こえてきそうだが、首を振ったのは開幕からファームで接してきた矢野燿大2軍監督だった。