「GyaO」が今に繋がった
もともと継ぐつもりのなかった、大阪有線を継いだのも、誰も引き継がなければ、多くの人にとてつもない迷惑がかかると考えた一方で、地球3周分のケーブルというインフラに将来性を感じたからです。インターネット高速化の時代になれば、映像配信の波が必ず来るわけですから、その手始めに、父が遺した先ほどの電柱問題をなんとか正常化にこぎつけて、世界に先駆けて、光ファイバーの整備を始めました。
最初に今でいうサブスクの有料モデルで動画配信サービスを始めたのが、2004年、楽天(現・楽天グループ)と共同出資で設立した「ShowTime」。ただ作品数も少なく、インターネット環境もまだ映像視聴に堪えうるものではなかったため、残念ながら登録者数は伸び悩みました。
そこで発想を転換し、ネットでの視聴体験を重ねてもらうために、2005年に始めたのが、無料で映像コンテンツを観ることのできる「GyaO」でした。利用者は1年2カ月という短期間で1000万人まで達しましたが、同時に映画会社やテレビ局といったコンテンツホルダーからは、少なからず警戒されました。当時のインターネットはまだ信頼を得られておらず、コンテンツを提供したら、全て違法コピーされてしまうとさえ思われ、あたかも自分たちの領土を荒らす黒船のようなイメージでも捉えられていました。
彼らと地道に対話を重ね、敵対するのではなく、むしろ共存できるという意識を醸成できたことは、今に大きく繋がっています。私はよく「早すぎる」とも言われるのですが(笑)、「GyaO」がなかったら、現在の映像配信の景色は、まったく違うものになっていただろうな、という自負はあります。ただ、今も悔いが残るのは、順調に事業を拡大していた先にある、大きな落とし穴に気づけなかったことです。
※宇野康秀さんが陥った窮地とは?約7000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年6月号に掲載されています(宇野康秀「大型スポーツイベントの独占はしない」)。
