子どもたちのさまざまな質問に、各分野の専門家が「先生」として回答する「NHK子ども科学電話相談」。「昆虫」「天文・宇宙」「鳥」「心と体」それぞれの分野から、4人の先生たちの子ども時代についてインタビューしました。

 今回は、「パンツは穿かなければならないのか」という相談への回答が話題になった「心と体」の先生、公立諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀先生にお話を伺います。

担任の先生の独特の教育法

―― 先生の子ども時代について教えてください。

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篠原 うちは田舎の小学校だったんですよ。長野の山の中で、標高1000メートルくらいのところなんですけど。

篠原菊紀先生

 小学校4年生ぐらいからの担任がかなり変わった先生で、学期の最初に教科書をバーッと配って、「終わったら好きに生きろ」と言うんです。なので、できる子はその学期の勉強を1~2週で終わらせて、終わったらずっと遊んでいる、みたいな状態だったんですよね。

―― えっ、授業はなかったのですか?

篠原 クラス全体で授業を受けた記憶は、あまりありません。その先生が担当した僕のクラスの40人中、10人が当時一番偏差値のいい県立高に進んだので、一時「素晴らしい授業法なんじゃないか」って勘違いが世に広がって、視察も結構あったみたいですよ。

 僕の次の学年は同じ授業法で失敗したらしいから、「授業法が素晴らしいわけではなかった」って結論に落ち着いたらしいけど。そりゃ、配られて「やれ」と言われてできれば、誰も苦労しないよね。

―― 勉強が終わると、どんな遊びをしていたのでしょうか。

篠原 みんなで野球をしたり、裏山で木をつないで秘密基地を作ったり、陶芸したりしたんですけど、僕は当時身体が小さくて、運動神経も良くなかった。足手まといになるくせして混ざりたがる子どもで、勉強はそこそこできたけど、あまり自分に自信がなかったです。

 それが、5年生になったらマラソン大会が始まって、結構速かった。その辺りからちょっと自信が出てきて、「頑張れば、なんとかなるのかな」と考えられるようになったと思います。

脳科学に興味を持ったのは「多様性」への意識がきっかけだった

―― 脳科学に興味を持ったのはいつ頃ですか。

篠原 大学に入ってからです。といっても、すぐに興味をもったわけではなくて、きっかけは、周囲に精神障害を発症する人が続いたことでした。それまで精神障害を持った人と接したこともなかったし、精神障害についての教育も受けてこなかったから、どう向き合えばいいのか分からなくて。

 

 でも、分からないなりに「こういうことも世の中にあるんだ。こういうことも当たり前なこととして理解できる道筋を作りたいな」っていう、今で言ったら「障害障壁を低くしよう」「多様性を認めよう」とでもいうのかな、そういうようなことを考えた。

――「多様性」への意識が入り口だったのですね。

篠原 そうですね。そこで、「統合失調症理解のためのアンケート授業の開発」ってテーマで研究し、高校生で調査してみました。授業はある程度成功したんですけど、生徒がアンケートで「怖いと思わなくなった」「犯罪率が高いわけではない」「偏見が消えた」と答えるようになっても、本当に得心しているのか、真の納得か、という引っかかりはあって。

―― たしかに、「偏見があります」とは答えづらいですものね。

篠原 結局のところ、脳みそを調べないと分からないんだろうなあ、と思っていたんだけど、しばらくして、NIRSやMRIのようなリアルタイムで脳を調べる機械が一気に世に出てきたんです。

 それまでは、脳波計やPETという機械はあったんだけど、それだけでは脳の調査に限界はあった。新しい機械をタイミングよく大学が買ったということもあって、そこから脳科学の研究をはじめました。