国立競技場で日本代表をボコボコにした過去
すっかり弱体化した北朝鮮男子代表だが、かつては世界で光り輝いていた時期があった。
1966年のW杯イングランド大会。北朝鮮は1次リーグで強豪イタリアを破る歴史的快挙を成し遂げ、当時のアジア最高位となるベスト8に進出した。決勝ゴールを決めたFWの朴斗翼(パク・ドゥイク)は「朝鮮の英雄」と讃えられ、欧州クラブからの勧誘もあったほどだ。
それから8年後の1974年3月。北朝鮮軍を母体とする強豪「4.25体育団」が来日し、東京・国立競技場で日本代表と対戦した。結果は、4.25が日本代表を4-0で粉砕する完勝劇だった。
当時、現場で観戦した在日朝鮮人の男性は懐かしそうに振り返る。
「4.25ばかりが攻め込んでシュートを放つので、カメラマンが日本代表のゴール付近にばかり集まっていたことを覚えています。『祖国のサッカー代表は世界的な強豪なんだ』と誇らしい気持ちになりましたね」
「マンション支給」「英才教育」強さの3つの理由
北朝鮮のサッカー事情に詳しい脱北者B氏は、当時の北朝鮮代表が強かったのには「3つの明確な理由」があると説明する。
第1の理由が「貧しさ」だ。ボール一つで遊べるサッカーは、立身出世の道を開く最高のツールだった。実際、2010年W杯南アフリカ大会に出場した代表選手たちは、ご褒美として平壌の高級マンションを与えられている。
第2の理由が「全体主義」。スポーツや芸術に秀でた子供を国を挙げていち早く発掘し、英才教育を施すシステムができあがっている。サッカーにおいては、2013年に「平壌国際サッカー学校」が開校した。
そして第3の理由が「テレビ」だったという。1970年代まで経済が順調だった北朝鮮では、電気もほぼ各家庭に行き渡っていた。金日成主席も金正日総書記も大のサッカー好きで、週末には海外の国際試合を録画放送していた。
「当時、国民が一番興奮して見ていたのがアルゼンチン代表のマラドーナでした。情報ネットワークが未発達な時代、テレビの役割は絶大でした。あちこちにサッカー選手に憧れる子供があふれていたんです」(B氏)
