憤りと悔しさと、申し訳なさで号泣
棺の中に白装束を着せられて、べったりと朱肉のように真っ赤な口紅を差された母の顔を見たときは、憤りと悔しさと、申し訳なさが込み上げてわたしは号泣しました。
「薄化粧しかしない人だったのに、誰がこんなみっともない口紅をつけたの。お遍路さんでもないのに、なぜ白装束なんか着ているの。あんなに着物に凝る人だったのに……」
1人娘のわたしが不在だったため、身を粉にして葬儀の準備やら何もかもやってくれた2人の従妹に、八つ当たりをしたわたしは心から疲れはて、引かない熱をもてあましてもいました。それでも、大事な書類は紹介された弁護士か、従妹のどちらかに渡した記憶があるのです。その記憶が間違いだとしたら、わたしは手に負えないほど間抜けた女ということです。
生きているうちに大好きな古家を処分しなければ……
母の死から19年も経った今年の始め、真実を知り、愕然としました。生きているうちにこの大好きな古家を処分しなければ、片言のおぼつかない日本語で娘が途方に暮れると思うと我慢できず、居合わせた『愛のかたち』を出版してくれた文藝春秋の編集部の人にぐだらぐだらと訴えました。
「宮大工さんが作った、釘も使ってない、今じゃ作れないかも知れないこの家や、両親が丹精込めて作った庭の木々を乱暴に引き抜いて、何軒ものチャチな家を建てられるのはイヤなの。このまま使ってくれる人じゃなければイヤなの。それに……あたしまだ生きているんだし……」
ぐじゃぐじゃ言うわたしに呆れたのか、同情してくれたのか、
「相続問題で助けてくれた、司法書士の方を紹介しますよ。1度会ってみて、相性を探ったらいい」
と提案してくれて、お互い忙しい身、その日を決めて、当日、外出の支度をしているときに電話。
「あ、もう支度出来てる」そそっかしいわたしが相手も確かめずに言ったのです。