気鬱になりそうなダミ声に天下一品の勘が働く
「岸惠子さんですね」聞きなれない女性の声。
「どちらさま?」声のトーンを落とします。
「最近、クレジットカードを失くされました?」
「え? なぜそんなこと訊くのですか」
「今、店に岸惠子さんのクレジットカードで買い物をしようとしている女性がいるのです」
「どこのお店ですか」
「横浜高島屋の時計売り場です」
ドジは自他共に認める欠点ではあるけれど、こうした胡散臭さには、天下一品の勘の持ち主でもあるのです。女性の声は気鬱になりそうなダミ声でした。由緒ある横浜高島屋がこんな声の店員を雇うわけはないと思いつつも、言ってみました。
「岸惠子なんて、ざらにある名前ですよ。同姓同名の人でしょう」
「いいえ、身分証を出さないから、カード会社に問い合わせたら、カードは本物で、住所と電話番号を教えてもらったんです。それでお電話しているわけです」
「どこのカードですか」
「JCBです」
「そんなカード持っていません。何を買おうとしているんですか」
「30万円の時計です」たったの30万? 詐欺にしたら岸惠子も安く踏まれたものだ! とちょっとむくれます。
「わたしに成りすましているその人、幾つくらいですか」
「40か50くらいです。岸惠子さんから頼まれて買いに来たと言っています」ふーん、と思って問いかけます。
ダミ声女子の巧みな説明に心が揺らぐ
「時計売り場にしたら、お店の物音がぜんぜん聞こえませんね」ここでダミ声女子、ほんのちょっとの間を取りました。
「あ、今、別室に来ています。わたくし責任者なので」
責任者? だから、店頭で接客をする必要のないダミ声なのかとわたしは納得して、電話の相手に偏りかけます。
「で、その人の名前は?」
「それが言わないんです。身分証もないし、持ち物を調べることは、私は一店員でしかないので出来ません」
「警察を呼ぶ以外ないですね」とわたし。
「呼びました。警官が来るのを待っているところです」詐欺にしては上手くできているなとも思いました。ここで一度切れた電話が、ほどなくまたなりました。
警官らしいてきぱきとした声にドジの本性が顔を出す?
「戸部警察署の木村と申します」
いかにも若い警官らしいてきぱきとした声の電話。
「岸さんはほんとうにカードを失くしたことないんですか」
ここで、わたしの天才的な勘はかなりの修正を加えられ、ドジの本性が顔を出します。
「失くしたことはあるかも知れない。でもJCBとかいうカードは持っていません。大体、失くし物、得意ですからカードは1枚しか持っていません」
「それはどこのカードですか」
「JALのカードです」(余計なことを言ったもんだ!)とすぐ反省。この辺でわたしの詐欺か否かの勘は五分五分でした。
「カードを落したことがあるとすれば、そのJALカードでほかのカードも作れます」と威勢のいい声。あれーッ、これ本物かも知れない。わたしは声コンプレックスがあるため、はきはきとした確信に満ちた声を聴いて、ドジと天才的勘がせめぎ合います。
「わたしを騙った、度胸のあるその本人の名前は何ですか」
「森山さんです。あ、失礼、森山さんは高島屋の方の名前です。本人名前を言わないんですよ」この一言で勘の出番。