感染して帰らぬ人となった有名人

(4)の理由についても、日本の世相をよく表している。スペイン・インフルエンザの最大の特異性は、健康な若年成人層を主な標的とした点にある。その結果、すでに社会的な権力や高い地位に就いていた高齢の指導者たちが命を落とす例は極めて稀だった。

 もちろん、例外はある。現在放送中のNHK連続テレビ小説「風、薫る」に登場した大山捨松。彼女は明治期から大正期にかけて女子教育の発展に尽力したが、スペイン・インフルエンザに感染し、1919(大正8)年2月に帰らぬ人となった。

大山捨松(出典「近代日本人の肖像」/国立国会図書館デジタルコレクションより)

 当時としてはこうした著名人の犠牲は特異なケースであった。

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当時のアメリカ大統領も感染

 たとえ死に至らなくても、スペイン・インフルエンザに感染したことで、世界の歴史に決定的な影響を与えた可能性のある人物がいる。アメリカの第28代大統領、ウッドロウ・ウィルソンである。

 ウィルソン大統領は、第一次世界大戦の末期に「十四カ条の平和原則」を発表。理想主義的な新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰し、国際連盟の創設に尽力した。彼が提唱した国際連盟は、人類が二度と大戦の惨禍に巻き込まれないことを保証するための画期的な試みだった。

 しかし、パリ講和会議では、敗戦国であるドイツの処遇をめぐって激しい対立が生じてしまう。

パリ講和会議日本全権及び随員記念写真 大正9年6月、ホテル・ブリストルにて(朝日新聞社編『図録日本外交大観』所収/国立国会図書館デジタルコレクションより)

 最終的に策定されたベルサイユ条約は、フランスやイギリスの意向が強く反映され、ドイツに対する過酷な賠償金の請求など、資産強奪の色彩が強いものとなってしまう。当初「勝利なき平和」を唱えていたウィルソン大統領は、ヨーロッパ列強の現実政治の前に敗北を喫した。

 さらにその直後、ウィルソン大統領は母国アメリカが国際連盟に加盟する道を、自らの手で閉ざしてしまう。条約批准に必要なアメリカ上院の同意を得るために野党と妥協することを、頑なに拒否したためだった。

 なぜ、これほどまでに頑迷な態度をとったのか。実は、ウィルソン大統領はパリ講和会議の最中であった1919(大正8)年4月、スペイン・インフルエンザに感染している。

 一命は取り留めたものの、回復後の大統領には明らかな異変が見られた。思考力が著しく低下し、急に怒りっぽくなるなど、その精神状態が突然変貌してしまったという記録が残されている。ウイルスの襲来が、彼の脳や神経に深刻な影響を与えていた可能性は極めて高い。

 この大統領の変貌は、日本、そして世界の運命を大きく変えることになる。