太平洋戦争との奇妙な関係
当時、日本は国際連盟規約のなかに、人種差別の禁止を明記する「人種差別撤廃案」を提案していた。当初、ウィルソン大統領はこの日本の提案に対して理解を示していたとされる。
しかし、実際の採決の場において、委員長を務めたウィルソン大統領は突如として態度を一変させる。採決では多数の国が日本の提案に賛成したにもかかわらず、大統領は「このような重要案件は全会一致でなければならない」と宣言し、独断で不採択にしてしまったのである。
クロスビー博士の著書を翻訳した医学博士の西村秀一氏は、この事件の持つ意味の大きさを指摘する。
この不採択により、日本国内では欧米への強い不信感が植え付けられた。その後、ワシントン海軍軍縮条約などで不平等な条件を押し付けられたと反発した日本は、徐々に国際社会から孤立し、結果として欧米との破滅的な戦争への道を歩むことになっていく。
もし、ウィルソン大統領がスペイン・インフルエンザに感染していなければ、彼の精神状態は正常なままであったかもしれない。
そして、「人種差別撤廃案」が賛成多数のまま採択されていたならば、欧米に対する日本の反発感情は国を挙げての軍国主義へとは向かわず、あの凄惨な太平洋戦争は避けられていたかもしれない。
インフルエンザ・ウイルスを最初に発見したのは…
これほどまでに世界を激変させたスペイン・インフルエンザだが、当時はその正体さえ正確には把握されていなかった。
現代の私たちは、インフルエンザの原因がインフルエンザ・ウイルスであることを知っている。科学技術が進歩した今日では、当時のスペイン・インフルエンザと同一のウイルスを人工的に合成することさえ可能らしい。
スペイン・インフルエンザ流行の終息後に内務省衛生局がまとめた報告書『流行性感冒』には、当時の苦悩が滲み出ている。
そこには「インフルエンザの病原体については、なお未解決の問題である」「病原論の真の解決は、次のパンデミックが起きるまで待つしかない」と記されていた。
報告書によれば、流行当時、ドイツ、フランス、イタリアといった各国の研究機関が、競うようにして病原体の特定を急いでいた。
報告書には世界中の医学者による膨大な研究成果が紹介されているが、その中に、1919(大正8)年に行われた日本人研究者3人による成果が、申し訳程度にわずか2行だけ記述されている。
「山内、岩島、坂上(Lancet, June 7, 1919)。
喀痰、血液の濾汁を鼻腔及皮下に接植して、人体感染実験陽性なりと云ふ。」
従来、インフルエンザ・ウイルスを初めて発見したのは、1933(昭和8)年のイギリスの研究グループ、クリストファー・アンドリュースらであるとされてきた。
しかし最近になって、実は「山内、岩島、坂上」の3人が1919年に行った実験こそ、インフルエンザ・ウイルスを世界で最初に発見した研究だったことが明らかになったのだ。(つづく)
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