1918(大正7)年から1921(大正10)年にかけて、日本で起こったスペイン・インフルエンザ(スペインかぜ)の大流行。終息後に内務省衛生局がまとめた報告書『流行性感冒』に、日本人研究グループの研究成績がたった2行で簡単に記されている。

「山内、岩島、坂上(Lancet, June 7, 1919)。

 喀痰、血液の濾汁を鼻腔及皮下に接植して、人体感染実験陽性なりと云ふ。」

キリスト教青年会の集合写真、前列中央が山内保(東北大学資料館提供)

 これは、患者の痰や血液をフィルターで濾し、細菌を取り除いた後の液体を健康な人に接種したところ、感染が確認されたことを意味している。つまり、細菌よりも小さな「濾過性ウイルス」が病原体であることを、いち早く実験によって証明していたのである。(全3回の3回目/最初から読む

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事実上スルーされてきた日本人研究者の功績

 しかし、一般にインフルエンザ・ウイルスを初めて発見したのは、1933(昭和8)年のイギリスの研究グループ、クリストファー・アンドリュースらであるとされている。

 スペイン・インフルエンザの動向を調査した経済学者の速水融氏でさえ、2006(平成18)年の著書の中で「何十年という長い年月と弛まぬ努力の末に、ヒト・インフルエンザ・ウイルスの発見にたどり着いた。しかし、この過程に、日本の研究者はなんら関与していない」と述べている。

 つまり、山内ら3人の研究は事実上スルーされてきた。彼らの功績は歴史に埋もれていたのである。

ロサンゼルス、サンフランシスコのポスター (内務省衛生局編『流行性感冒』所収/国立国会図書館デジタルコレクションより)

「ヤマノウチは当時、もっともすぐれた業績をあげている」

 ところが2010(平成22)年、この定説を覆す衝撃的な出来事が起きる。

 東京大学名誉教授の山内一也氏は、ウイルス学の世界的権威であるフレデリック・マーフィー博士から問い合わせを受けた。マーフィー博士は、1919(大正8)年の山内らの論文を再評価し、次のように語ったという。

「ヤマノウチは当時、もっともすぐれた業績をあげており、世界の主なウイルス学者が彼の業績を理解し、高く評価していたことはあきらかである。(中略)私がこれまで、アンドリュースらをインフルエンザ・ウイルスの発見者と書いてきたことは、大きな誤りだった。私が調べた限り、多くの書物は同じ誤りを犯している」

 これは医学界における“再発見”と言えるだろう。100年前、スペイン・インフルエンザ大流行の混乱のただ中にあった日本で、名もなき研究者たちがウイルスの正体に王手をかけていたのだ。

 ここで、いったん当時の世界におけるインフルエンザの病原体研究の状況を簡単に整理しよう。