「ウイルスが原因」だとは考えられていなかった
スペイン・インフルエンザの流行時、その病原体として最も有力視され、注目を集めていたのは「ファイファー菌」と呼ばれる細菌だった。
1889(明治22)年から1891(明治24)年にかけてインフルエンザの世界的な大流行が起こった際、ドイツの著名な医師リヒャルト・ファイファーは、患者の呼吸器から棒状の細菌を分離することに成功した。
彼は、同じ菌が多くの患者から一様に見つかったことを根拠に、1892(明治25)年、この細菌こそがインフルエンザの病原体であると発表した。この菌は彼の名にちなんで「ファイファー菌」、あるいは「インフルエンザ菌」と呼ばれるようになった。
しかし、この定説には早くから疑念の目が向けられていた。ファイファー菌は、インフルエンザ以外の呼吸器疾患の患者からも頻繁に検出されたからだ。
こうして、インフルエンザの病原体をめぐる研究は世界中で大きく2つの陣営に分かれることとなった。一つはファイファー菌を本命として尊重するもの、もう一つはそれを病原体としては退けるものである。
日本の医学界における精鋭たち
もしファイファー菌が原因ではないとすれば、真の病原体は一体何なのか。研究者たちの間で、ある仮説が浮上し始めた。
それは細菌を通さないほど目の細かい濾過器さえも通り抜けてしまう、極めて微小なサイズの濾過性病原体。すなわち、「ウイルス」の存在だった。
それでは、歴史の闇に埋もれていた山内ら3人の研究とは、どのようなものだったのだろうか。
「山内、岩島、坂上」の3人は、当時の日本の医学界における精鋭たちだった。
山内保は東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)を卒業後、フランスのパスツール研究所で活動した医学博士。
岩島寸三は東京帝国大学で山内と同期だった医師であり、坂上弘蔵は、民間企業として最初にワクチンの製造・販売を始めた星製薬で細菌部主任を務めた医師だった。

