高止まりしている「児童虐待の対応件数」。2024年度は22万件と、歴代2番目に多かった。そうした困難に直面している子どもたちと、その支援にフォーカスした書籍『大人は気づいてくれない 貧困脱出への伴走型支援』(岩波書店)から一部抜粋。1歳で両親が離婚したのちヤングケアラー状態で父と同居していた女性「理奈さん」のケースをお届けする。なお本文中の人名は全て仮名。

画像はイメージ ©yamasan/イメージマート

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「名前の由来? そんなの忘れた」と父は言った

 小学校で「フケがすごい」と言われ、保健室でシャワーを浴びた。教科書の字が見づらいと養護教諭に訴えると「眼鏡が要るね」。しかし、父は「金がない」と嫌がり、理奈さんは親類に頼んで買ってもらった。

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「みんなと同じように眼鏡をかけられてうれしかった」

 家では父が暴力を振るった。気分次第で殴られ、家から閉め出された。「金食い虫」と何度も言われるつらい日々だった。

「お米を買うお金もなかった。給食だけが頼りでした」。給食で残ったパンや牛乳をもらうこともあった。おなかがすくと、「何か手伝わせて」と近所の家を訪ね、夕食の時間まで粘った。唯一の財産のお年玉を本の間や写真立ての裏に隠しても、いつの間にかどこかへ消えていた。父に聞いても、「知らねえよ」ととぼけるだけだった。

 授業参観の前日にはいつも「行くよ」と言う父は、約束を守らなかった。

 小6の時、「私の名前の由来」を作文で発表する授業があった。「理奈」という名前の由来を事前に聞くと、父は「そんなのは忘れた」と言うだけで、作文を書けずに当日を迎えた。結局、父は来ず、同級生の発表を聞くのが嫌で、その授業中はトイレで泣いて過ごした。

「あの時、アスポートの無料塾があったら、入り浸ったかもしれません。どこにも居場所がなかったから……。ただ、当時はそんな生活が当たり前で、困っているとも思いませんでした」

 幼い頃の理奈さんは父に逆らえなかった。だが、中学生になると反撃を始めた。ある夜、中学生になった理奈さんを父がなじり始めた。

「家のことをもっとちゃんとやれ。役立たずだな。くそガキが」