母であり姉であり恋人だった存在
やがてモータウン・レコードの目にとまり全米デビューが決まってからは、同レーベルの大スターだったダイアナ・ロスが後見人のような存在に。11歳のころ、マイケルは一時期ダイアナの家で過ごしていたこともあるらしい。ダイアナは彼に音楽だけでなく絵画など他ジャンルの芸術について、あるいはスターとしての振る舞いや、ひとりの人間としての感性の養い方など、多くを教え授けたそうだ。マイケルは後に「彼女はぼくにとって母であり姉であり恋人でもあった」と回想している。そんな信頼関係が、やがて78年、映画『ウィズ』での共演につながっていったわけだ。
と、そんなふうに幼いころから幅広い文化への関心を抱いていたマイケルは、その後、ソウル・ミュージックにとどまらず、ビートルズを聞きまくり、テレビ・ショーでフランク・シナトラのナンバーなども歌い、ミュージカル映画を通して1930年代のフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの気品のある踊りや、40~50年代のジーン・ケリーの躍動的なステップに親しみ、70年代のボブ・フォッシーからダンスの概念や振り付けの斬新さを学び、パントマイムのマルセル・マルソーからやがてムーンウォーク誕生の大きなインスピレーションへと結びつくことになる無重力的な動きを取り込み、ドビュッシーなどのクラシック音楽も愛聴し……。過去の様々な財産に接し、その魅力を貪欲に吸収しながら成長していった。
そんな幅広いマイケルの素養を裏でがっちりバックアップしたのが、これまた一筋縄ではいかない広範な音楽的バックグラウンドを持つクインシー・ジョーンズだ。79年のソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』からマイケルのプロデュースを手がけるようになったクインシーだが、彼は単なるプロデューサーの枠を超え、マイケルの素養を“芸術”にまで磨き上げた最高の錬金術師だった。



