韓国選手の間の「敬語を使わない難しさ」
さらに異例の指示を出した。
「試合中はもちろん、トレーニング中からお互いの名前を自由な雰囲気で呼び合うように」
これを聞いた当時の選手は凍りついたという。先輩たちはしぶしぶこれを受け入れ、後輩たちはお互いどうすべきか、わざわざアイコンタクトを取らなければならない状況になった。
通訳にとっても難しいものだった。トレーニング中や試合中にヒディンクの指示を韓国語で伝えようとする。時に、自分にとって年上の選手に敬語を使おうとして、タイミングを失うのだ。これでさらにヒディンクからお叱りを受けた。
通訳たるチョン・ハンジン本人もフラストレーションが溜まり、選手も何かしっくりこない感じがしていた。何よりも、敬語を使うか使わないかで迷っていれば時間がかかり、ヒディンクの意図がはっきりと伝わりもしない。
解決策が必要だ。そう考えた通訳は、それまでも5年に渡り代表チームでともに仕事をしていたホン・ミョンボへの直談判の機会をうかがうことにした。
「楽に話せ、俺たちは理解してやるから」
しかし、年下の自分から話しかけるのはためらわれる。言うべきか、言わざるべきか。雰囲気が悪くなる心配もあった。悩んだ結果、慎重に声をかけた。
「監督の指示を明確に伝えるのが難しいんですが……、敬称を使うと」
ホンの答えは、通訳の気持ちを楽にするものだった。
「楽に話せ、俺たちは理解してやるから」
このときからすべての選手に対して、ヒディンクの化身のように強い口調で指示を伝えていった。選手の名前も年齢に関係なく、自由に呼びながら。「ホン・ミョンボ! 一歩前に出てパスを受けろ」というふうに。
残された遺産
そのときから20年以上が経った現在、韓国代表では、20代前半の選手が30歳を超えたワールドカップ出場歴のある選手を呼び捨てにするシーンを目にする。
筆者自身、韓国出張に行くたびに現地での草サッカーに加わるが、そこで20代のチームメイトに「ターンしろ(ボールを持った状態で前を向け)」だとか「出せ(パスを)」という風にタメ口をきかれる。
「ピッチ上での上下関係の破壊」。それは、ヒディンクが韓国サッカー界に施した最初の革命であったとともに、今でも遺産として残っているものだ。
吉崎エイジーニョ
1974年、北九州市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)朝鮮語科卒。『Number』『週刊サッカーマガ
ジン』で連載を始め、1997 年に韓国、2005 年にドイツで暮らした。日韓欧の比較で見える「日本とは何か?」を描
く。著書に『メッシと滅私』(集英社新書)、翻訳書に『パク・チソン自伝 名もなき挑戦: 世界最高峰にたどり着けた理由』(小学館集英社プロダクション)、『ホン・ミョンボ』(実業之日本社)などのほか、教育関連書、北朝鮮関連翻訳本などを手掛ける。2026年6月に『なぜ日本サッカーは強くなったのか ‟神とサッカー"から紐解く日本代表の欧州化』(徳間書店)を上梓。

