所属するセルティックではもちろん、日本代表でも活躍する前田大然(28)。実は、小さな頃の夢はサッカー選手ではなく、体操でオリンピックに出ることであったという。どれだけ足が速くても「女子にモテなかった」と笑って話す。
そもそもなぜ、前田大然は、あれほどまでに速く走ることができるのだろうか。ここでは、サッカー日本代表・前田大然の初自叙伝『がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか——。』(幻冬舎)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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オリンピックに憧れた体操少年がサッカーに乗り換えた理由
本格的にサッカーを始めたのは小学校4年生だった。とにかく運動が好きな子どもで、遊び感覚でボールを蹴る機会も多かった。友だちが誘ってくれたことをきっかけに、地元の太子町ジュニアサッカークラブに所属した。
それまで習い事は、父親がやっていた影響で体操クラブに所属していたくらい。実は、初めての夢は体操選手として五輪に出場すること。
自分が小学校1年生で6歳の夏。2004年にアテネ五輪が開催されて、そこで日本代表が体操男子団体総合で金メダルを獲得した。ものすごくインパクトが強い出来事で、自分もあの舞台に立ちたいと思った。
NHKのテーマソングになっていたのが、ゆずの『栄光の架橋』。実況アナウンサーの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だ!」という名フレーズが耳に残っている。
それがなんでサッカーに乗り換えたのか。
とにかく身体が硬かったことが一番の理由だ。
周りの友だちは柔らかいのに、自分は柔軟体操をやるのも苦しいくらいで、しんどかった。今でも身体は硬いほうだと思うけれど、もし柔らかければ体操を続けてサッカーには触れていなかったかもしれないから、ほんの少しのことで人生は大きく変わると痛感している。
球技が好きだったので陸上という選択肢は一切なかった。サッカーでも、野球でも、バスケットボールでも、走れるから。ボールを使って走りたかった。

