長屋ものと捕物帳の今
細谷 そして三番目の分野、「市井もの」代表として挙げたいのは、田牧大和さん『鯖猫長屋ふしぎ草紙』。市井ものの一番分かりやすいかたちが、「長屋もの」なんです。
主人公が暮らす長屋に、一癖ある住人たちが居て、常に騒動を起こすけれども、最終的には結構みんな仲いいよ、という。本シリーズではアクセントとして、サバという雄の鯖猫を主人公が飼っている。この猫がもしかしたら少し不思議な力がある?という、ファンタジーまでは行かない微妙な書き方が非常に巧い。長屋ものも沢山あるので、どこで他と差をつけるかというのが重要なのです。
昼間 おっしゃる通り、江戸時代とか、ある程度お題や舞台が限られている中で新作を作っていくと、掛け算が増えていく。『鯖猫』は、「長屋×猫」ですね。
細谷 次は文庫書下ろし時代小説の華、捕物帳について。こちらも、他と差をつけるべく、作家たちは頑張っています。同心でも、おなじみ定町廻りではなく例繰方(れいくりかた)(書類仕事。昔の判例などを調べる)を登場させるとか。
先日第三巻が出た松下隆一さんの『落としの左平次』は、捕物帳の王道でありつつ、新機軸を打ち出しています。主人公は若い定町廻り同心で、上役から、元同心の左平次という男に預けられる。「見て覚えろ」みたいに扱われて最初は反発するけれど、そのうちに男のすごさが分かってくる。この左平次、「落としの」という異名があるように、拷問などは一切使わず犯人を落としている。つまり、事件が起きて誰が犯人なのかという面白さとともに、左平次がどういう仕掛けで犯人を落としていくのだろうという二段構えの謎の構図になっている。これが非常に新しい。
書く手間がすごく大変だとは思います。だから、新刊が出るペースはちょっと遅いかな。出来れば三か月に一冊は読みたいですが。
昼間 『落としの左平次』は、設定みたいなものが全部そぎ落とされて、原点回帰みたいなところがあって、内容も装丁もシンプルなのが逆に新鮮です。そういうところが読者に訴えて、売れているのかなと個人的には思っています。
野沢 私も好きです。面白くて、一気読みしてしまいました!
『みをつくし料理帖』で潮目が変わった
細谷 定番の最後は、料理もの。時代小説の中に出てくる料理といえば昔から、池波正太郎さんのシリーズなどが人気でしたが、文庫書下ろしで髙田郁さんの『みをつくし料理帖』が出た時、潮目が変わった。何が凄かったかというと、読者が実際に作れる料理のレシピを最後につけた。既存の料理ではなくて、新しい料理。実際には女性の料理人は、基本的に江戸時代には居ないと思うのですが、この作品以降、女性料理人小説が増えました。
野沢 髙田郁先生にはお目にかかったことがあります。先生は、料理をいったん自分で作ってみる。作ってみて食べてみる。納得したらそれを書く、とおっしゃっていました。すごく丁寧に、力を入れてご執筆されていて、読者さんもそれを分かっている。
細谷 それまでは中高年男性がメインの読者層だったのが、三十代から六十代ぐらいまでの女性読者層が生まれました。
様々な料理を題材にした時代小説が出てきて、またその中で常に新機軸を出さなければいけないのですけれども。中島久枝さんの『おでかけ料理人』の主人公は、出張料理人。「今までなかったネタだ!」と思いました。柴田よしきさんの『お勝手のあん』シリーズも、帯に「時代小説版赤毛のアン」とあり、明らかに女性読者をメインターゲットにしている。一人の少女の成長物語を書いていて、『赤毛のアン』みたいな小説なら読んでみようかな、ということになり、今まで時代小説に馴染みのなかった女性読者でも手に取りやすい。
