さかのぼること3カ月前の同年8月、政子は頼朝の長男を出産していた。この男児が、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家だ。つまり頼朝は妻が妊娠中に妾を囲い、せっせと情交に精を出していたのである。
現代でも妻が妊娠中は、夫婦の営みが制限されるため、浮気に走る夫が少なくないという。当然妻は激怒する。そんな下々の夫婦によくある痴話喧嘩を、よりによって鎌倉幕府の初代将軍と御台所が、盛大にやらかしたわけである。
亀の前は顔形がこまやかなだけでなく心も柔和
日本史上には、夫が頭の上がらない「恐妻」が何人かいる。北条政子はその代表格で、強い嫁の極みという印象がある。実際、頼朝と幕府を支え、夫の死後は「尼将軍」として政治を主導し、鎌倉と京都の朝廷が対立し承久の乱に突入する直前には、御家人たちを結束させた実力者だった。
だが、「亀の前事件」を起こした当時はまだ20代半ば。ましてや初めての出産を終えたばかりなのだから、嫉妬に駆られて暴挙に走っても同情の余地はあったといえる。
頼朝の寵愛を受けた亀の前は、『吾妻鏡』寿永元年(1182)6月1日の条に初めて登場する。
父は良橋太郎入道。詳細は不明だが「入道」は在家僧、「良橋」は地名と考えられ、頼朝が一時滞在(治承4/1180年8~9月)していた下総国(千葉県北部と茨城県西部)の「吉橋郷」にゆかりのある僧だった可能性はある。
そうだとしたら後妻打ちが起きる2年前には下総で関係を持っており、頼朝が鎌倉に入った同年10月以降に呼び寄せたのかもしれない。