愛人宅を破壊され激怒した源頼朝。しかしその本音は「先にこっそり教えろよ」という情けない屁理屈だった。夫の最悪な女癖が招いた大騒動とは? ライターの小林明氏の新刊『毒婦の日本史』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

源頼朝 ©getty

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頼朝は家臣に八つ当たり

 亀の前が潜んでいた伏見広綱の屋敷は、「飯嶋」と呼ばれた場所にあったという。現在の鎌倉市と逗子市の境界あたりに飯島トンネルがある。地名の名残があるので、この周辺だったと考えられる。

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 突然の襲撃に亀の前は鐙摺(神奈川県三浦郡葉山町)の別の人物の家に逃げ、難を逃れた。頼朝が現場の視察にやって来たのは、翌々日の11月12日。惨状を目の当たりにし、烈火のごとく怒ったというが、御台所の政子に罪を負わせるわけにいかない。その結果、実行役の牧宗親がお仕置きを受けた。

 頼朝は公衆の面前で宗親を叱りつけ、なんと髻(頭頂部分)を切り取ってしまう。当時の武士はつねに烏帽子を被っており、人前で外すことはなかった。それを頼朝は、烏帽子を剥ぎ取り、むき出しになった髻を切ったのである。武士にとってこれ以上ない辱めだった。

『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(朝日新書)の著者・細川重男が、同著で解説するこの場面が面白いので引用したい。

 まずは『吾妻鏡』にある頼朝のセリフ。

「奉重御臺所事者尤神妙但雖順彼御命如事者内々盍告申哉」

 漢文なので意味が伝わらないだろう。細川が意訳すると、こうなる。

「御台(政子)を重んじたのは結構なことだよ。だけどぉ、御台の命令に従うといっても、こういうときはまず、こっそりオレに知らせろよ」

 古今東西、女癖の悪い男の屁理屈は変わらないという、見本のようだ。