両親を見送った時、つくづく感じたのは「親族最強」ということである。たとえ本人の意志確認が難しい場合でも、親族の同意があれば大抵のことは問題なく進むのだ。実際、私は二人のためにありとあらゆる書類にサインをした。病院関係、介護サービス、訪問看護に緩和ケア。亡くなった後は役所や銀行にも通った。場面は違えど書類に求められるものはほぼ同じで、住所と氏名と電話番号、そして続柄だ。飽きるほど「長女」と記しながら、この書類で一番重要なのはおそらくここではないかと何度も思った。この一語があるからこそ、両親はある意味順調に死出の旅へと赴くことができるのだろう、と。
本書を読んで私が最初に抱いたのは、「あの時の直感は正しかった」という思いである。一人の人間が死を迎えた時、無事に「骨」になるには必ず誰かの手が必要だ。死亡した本人の身元を確認し、役所で手続きを行い、費用を捻出して火葬し、骨を拾って引き取る。気の利いたゾンビか何かでない限り、どれもが本人の力では不可能なことばかりだ。ではどうするのが一番スムーズかというと、著者が断言するように「親族がいればいい」のである。「この一言に尽きる」と。
だが、今の世の中そんなに単純ではなくなった、というのが本書のスタート地点だ。著者自身も家族は高齢の父親のみで、配偶者もパートナーも子供もいない。「このままでは骨になれるかどうか危ういぞ」との危機感を抱いたことから、元司法書士としての知識と経験で「if」を積み重ねていくのである。
もし一人の部屋で倒れたら、もし身元引受人がいないまま入院したら、もし意識のない状態で延命治療の判断が必要になったら、もし親切に近づいてきた人が悪人だったら、もし認知症になったら、もし成年後見人を選ぶなら、もしお金がなかったら、もし遺言書を書かぬまま死んでしまったら……。
語り口こそ優しくユーモラスだが、押し寄せる「if」の波の数と高さは尋常ではない。なにより恐ろしいのは社会の変化によって、「日本に今ある制度やサービスだけでは」「必ず、詰む」との予言だ。それは家族がいる人も例外ではないと言う。永遠の安心などどこにもないからだ。
本家の長男が家と墓を守る時代が終焉を迎えつつある今、どうやら「骨への道」は想像以上に険しいもののようだ。私自身も両親の書類にサインをしながら、「この人たちには私がいるけど独身の私には私はいないんだよな」と、うっすら遠い気持ちになったことを思い出す。一人で生きる方法は多くの人やメディアが教えてくれる。けれども一人で骨になるための知識は自ら探すしかない。そう決意を新たにした時、
「いつか必ず人は死ぬ」
感傷抜きのその事実が、やけに清々しくきっぱりと迫ってくるのである。
やすだいお/1966年、大阪府生まれ。ミュージシャン、司法書士などを経て、2010年、小説すばる新人賞を受賞し小説家デビュー。著書に『深海のスノードーム』『終活ファッションショー』など多数。
きたおおじきみこ/北海道札幌市生まれ。大学卒業後、フリーライターに。著書に『お墓、どうしてます?』他。
