「恨み言でも構いません。もし本人と話ができないなら、スタッフに対する語りかけでもいいです。できれば何かお話をしてあげてほしい。仮に患者さん本人がすでに会話ができないような状態でも聴覚は最後まで残っていると言われています。必ずではないですが、呼びかけるとかすかに反応があることも多いです」(岡山先生、以下すべて同)
親と関係が良くないなら難しいかもしれないが、できればベッドを沈痛な面持ちで取り囲むではなく、正月などに親戚が集まるワイワイした空気感が理想だという。ゆかいな思い出話など、みんなが笑ってしまう“鉄板ネタ”があれば言うことなしだ。
看取りは結果ではなくプロセスが大事
最後に親と話した方がいい、とすすめるのは親のためというより、むしろ残される子どものためだ。
岡山先生の担当した患者家族の中には「うちの父は、とんでもない父で……」と恨み言ばかり言っていた人が、思い出話をしているうちに「それでも釣りを教えてくれたのは父だったな」と、親の良い面を思い出せた人もいるという。
一方で、お別れを経ても「やっぱりひどい親だったと再認識できた」という人もいる。「それでもいいんです」と岡山先生。お別れするというアクションしただけでも、後にその人が受けるショックを緩和できるという。
「多くの看取りを見てきて、結果ではなく、プロセスに納得する人が多いと感じています。親の看取りでどのようなプロセスをたどれば、納得できるのか。自分に対してもそうですし、きょうだいに対しての誠実さを大切にしてほしいです」
もし親と疎遠のきょうだいがお別れするのを拒否した場合は、「報告です」と端的に状況報告のハガキを送ったり、メールで親の様子を撮影した動画を送ったりするのも有効だという。それだけで、親の現状がどのようなものか伝えることができる。
「親の死に目」は子への呪縛
さらに、岡山先生は、もし個々人の中で納得できるお別れができていれば、亡くなる瞬間に立ち会うことにこだわらなくていい、と話す。「親の死に目に会えなくなる」などと言われ、親の臨終の瞬間に立ち会うことは、古くから親孝行の象徴のように捉えられてきた。しかし、同時に、子への呪縛にもなっている。