運動会か何かの行事があった日、時間が自由になりそうだと姉に言うと、「遊園地に行こう」と誘ってくれたこともありました。結局、私が学校から抜けられなくて遊園地には行けなかったんですが、無邪気に計画を立てている姉の姿は思い出せます。優しい人でした。
「がんノイローゼ」
高校生の時の姉は「がんノイローゼ」だったと言っていいほど、がんに対して敏感だったこともよく覚えています。
ある日姉の部屋に入ると、姉がすごく深刻そうな顔で母と話していました。「自分は乳がんかもしれない」と言う姉に、母は笑って、それは病気ではなく、成長の過程で起きる変化だから心配しなくていいと説明していました。
姉は、幼い時に親友をがんで亡くしていて、葬儀の時に代表して弔辞を読んでいました。その時の影響もあったと思います。
「合成保存料には発がん性があるからソーセージやハムは食べちゃいけない」などと口にし始めたのもこの頃です。がんや死を極端に恐れるところが姉にはありました。
医学部合格、孤立した姉
姉が理系の大学を辞め、医学部に合格したのが81年。当時の医学部は学年で80~90人ぐらいで、その中で女性は1割程度しかいないという環境でした。
とはいえ1年生の一般教養課程では他の学部の学生と一緒なので、友達が1人できたりもしていました。高校時代、姉には面白い友達がいましたけれど、卒業すると散り散りになってしまった。4年間の浪人生活を経て人間関係が希薄になってしまっていたので、新しい友人ができてよかったなと思いました。
