統合失調症と思しき症状が現れてから25年間、精神科を受診できなかった姉。病気を認めず、南京錠をかけて姉を家に閉じ込めた両親。自身の家族にカメラを向けた藤野知明監督による映画『どうすればよかったか?』は、公開と同時に大きな反響を呼び、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録しました。
映画では描ききれなかった多くの事実を藤野監督自身の言葉で著し、累計発行部数2万部を突破した書籍『どうすればよかったか?』より、姉が初めて統合失調症の急性症状と思われる状態になった時の状況と、姉を病院に連れて行き、帰ってきた後の父の発言、そして姉の変調が徐々に周囲に影響を及ぼしていく様子を綴った部分を紹介します。(全2回の2回目/最初から読む)
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姉の最初の発作が起きた日
姉に最初の急性症状が起きた1983年の夜について、もう一度振り返ります。
当時の私は札幌南高校の2年生で、進路をどうしようかな、と考えたりしていました。私と姉には、通いのお手伝いさんが用意した夕食を早くに食べてすぐ寝て、夜中に起きて勉強するというルーティンができていました。
その夜は珍しく、夜7時ぐらいに母が大学から帰宅していたんです。一緒に夕食を食べ終えた後、私と姉が寝る前に、母が「まこちゃん(姉)の瞳孔が開いてる」と気がついた。心配した母は、姉を連れて散歩に出かけました。二人が何を話したのかはわかりませんが、姉は留年の心配をしているのかなと私は想像していました。
それから、遅くとも8時には私も姉も床についたと思います。しばらくすると隣室から姉の叫び声がした。ベッドに寝ている状態で非常に大きな声を30分ほど出していたんです。
叫んでいる内容は、夢の中でうなされているような非現実的なものばかりでした。中でも覚えているのは、「パパがテレビの歌番組に出て歌っていた時に応援しなくてごめんね」という言葉です。
私と母が姉の部屋へ入ると、さらに声が大きくなった。止まる気配もない。声をかけるといった日常的なコミュニケーションでどうにかなる状態ではなく、手がつけられなかった。私は母と相談して救急車を呼ぶことにしました。

