統合失調症と思しき症状が現れてから25年間、精神科を受診できなかった姉。病気を認めず、南京錠をかけて姉を家に閉じ込めた両親。自身の家族にカメラを向けた藤野知明監督による映画『どうすればよかったか?』は、公開と同時に大きな反響を呼び、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録しました。

 映画では描ききれなかった多くの事実を藤野監督自身の言葉で著し、累計発行部数2万部を突破した書籍『どうすればよかったか?』より、優しくて優秀な姉が、医学部に入るために受験を繰り返していた時の家庭内の様子、そして大学入学後に姉が心のバランスを崩していく過程を綴った部分を紹介します。(全2回の1回目/続きを読む

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受験を繰り返す姉

 父は札幌市内で勤務していて、その後関東地方に単身赴任することになりました。母が仕事を辞めて一家で引っ越すという選択肢もあったはずですが、当時としては珍しくそうした道は選ばず、母は札幌近郊の大学に移って勤務を続けていました。

 関東にいる父からは、毎日電話がかかってきました。私たち子供には「今日は何ページ進んだ」といった勉強の報告をする義務がありました。父が遠くにいるのをいいことに私が嘘を報告して、その後にバレてこっぴどく叱られることもしばしばでした。父が“絶対”である姉は指示を守っていましたが、私はサボりがちだった。父にしてみれば姉よりも私の方が心配の種だったと思います。

藤野知明『どうすればよかったか?』

 私は札幌市立真駒内中学校に通っていました。姉が卓球をやっていたという理由で私も卓球部に入っていました。適当に息抜きしていたとはいえ、勉強法の管理が厳しい父もいたし、札幌南高校にビリに近いけどギリギリ合格できる程度の学力はあった。姉と比べたら大してプレッシャーもない、お気楽な立場でした。

 当時、姉は医学部を目指して二浪し、その後一度文系の大学に入学するのですが、退学。翌年に理系の大学に入り直していました。試験勉強の面では、姉は父に忠実に過ごしていたけれど、受験をめぐる日常には紆余曲折があり、さまざまなストレスがあったと思います。

 それなのに小五から中二にかけての私はテレビばかり観て、姉が抱えていた辛さを理解していなかった。受験を繰り返している姉に労りの言葉をかけることなんてありませんでしたし、むしろ「またか」といったことを口にしていたように思います。姉に対する態度に限らず、子供時代、私は無神経で人の痛みがわからない人間でした。

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 その頃、姉と私が共通して好きだったのが『ピーナッツ』。スヌーピーやチャーリー・ブラウンの話をよくしていました。アメリカ文化を紹介する雑誌に掲載されていて、姉弟ともに読んでいました。谷川俊太郎による翻訳も面白かった。姉と私がスヌーピーのぬいぐるみと一緒に写っている写真が何枚も残っています。