10歳のときに母と一緒にミシガンへ

――10歳でアメリカに渡ることになったそうですね。

綾花 母方の大おじがニューヨークのホワイト・プレインズで大道マーケットという日本食材のスーパーをやっていたんです。

 母は子どもの頃からずっとアメリカに住みたいという憧れがあったので、大おじに相談したところ、「ミシガン州で日本人学校の先生を探している人がいるから繋げてあげる」と言ってくれたんですよ。

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 それで母は日本人学校の先生としてミシガンに行くことになって、私も一緒についていきました。

 でも、私にとってアメリカはそんなに遠い存在じゃなかったんです。5歳のときに夏休みに1カ月ほど大おじのところに行って、近所の子と遊んだりしていたし。

 だから行くことになっても全然イヤじゃなかったですね。むしろ場所がガラッと変わるのとか、学校が変わるのとか、わりと好きなタイプなので。

 

「吊り目のジェスチャーをされたり…」英語がわからず、現地で差別された

――アメリカの生活にはすんなり順応できましたか。

綾花 最初に通ったのは、ミシガン州のノバイというエリアの現地校で。わりとお金持ちのエリアで、日本人の駐在員の子どもたちも多くて、生徒のほとんどが白人みたいな学校でした。

 英語はまったく話せなかったので、授業中に先生が何を言っているのか全然わからないから、みんなが本を読んでいる時間に1人だけ教室を出て水を飲みに行ったりしていたんですよ(笑)。振り返ると、思いっきり変な行動を取ってしまっていましたね。

 ノバイの学校では、全ての日本人の生徒が差別を受けていたわけではないと思いますが、英語が喋れない日本人は結構肩身が狭かったと思います。英語をしゃべれないし、固まって行動しているイメージがあることで、なおさら冷たくされるんですよ。

――具体的にどんなことをされたり、言われたりするのでしょう。

綾花 吊り目のジェスチャーをされたり、「チン・チョン・チャン」みたいな言葉もしょっちゅう言われました。でも最初は何を言われているのかもわからなくて、侮辱されていると認識できていなかったくらいで。

 だんだんわかってくると「イヤだな」と思いましたが、英語がしゃべれないから言い返すこともできない。たまに日本語で悪口を言い返したら、先生に「日本語でしゃべってはダメ!」と怒られました(笑)。