10歳でアメリカに渡り、研究職などを経て、自身の会社「Aya's Culture Kitchen」を立ち上げて納豆の製造販売を行っているRowe綾花さん(32)。現在は日本円で年間1500万から2000万円ほどの売り上げがあるという。

 27歳年上のアメリカ人の夫とボストンに暮らしている彼女に、納豆の製造販売を思い立った理由、事業化の苦労、納豆に対するアメリカ人の反応などについて、話を聞いた。(全5回の4回目/5回目に続く

Rowe綾花さん ©石川啓次/文藝春秋

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納豆が手に入らなくなったので自分で作ることに

――納豆づくりを始めたきっかけは。

綾花 ハーバードメディカルスクール関連の研究室でかなり鍛えられていたんですよ。滅菌とか、菌を扱う技術を。発酵食品って、その研究室でやっていたこととすごく似ているんですよね。

 そういうわけで菌を扱うのは得意だったので、コロナが始まるちょっと前ぐらいから、家でキムチやコンブチャ、納豆なんかを作り始めました。

 西マサチューセッツに納豆を50年作り続けているアメリカ人のおじいさんがいて、その方のお店から買って食べていたんですが、コロナと同じくらいのタイミングで奥さんが亡くなってしまって。

 奥さんが日本人の方なんですけど二人三脚でやっていたので、生産量が一気に落ちてしまったんですよ。それで納豆が手に入らなくなって、じゃあ自分で作ろうと。

アメリカで起業し、納豆の製造・販売を行っている(ホームページより引用)

「アメリカに行ってからは、うま味が欠落したご飯が多かった」

――アメリカで納豆を食べる機会は少なくはなかった?

綾花 10歳までは日本にいたので、祖父母が出してくれるおいしい日本食を食べて育っていたんですよ。当然、納豆も普通に食卓に出ていました。でもアメリカに行ってからは、うま味が欠落したご飯が多かった。

 母があまり食事に興味のない人で、チキンを焼いただけとか、野菜を炒めただけとか、とにかく名もなき料理ばかり(笑)。白米もあまりなくて、クスクスが出てきたりしていました。

 アメリカは日系スーパーが少なくて、とくにカラマズーには全然なかったから納豆も食べられなくて。置いてあってもせいぜい冷凍の納豆ぐらいで、おいしくないんですよね、凍っているものって。だからたまに商品が豊富な日系スーパーへ行くのが一種のエンタメみたいになっていましたね。