10歳でアメリカに渡り、研究職などを経て、自身の会社「Aya's Culture Kitchen」を立ち上げて納豆の製造販売を行っているRowe綾花さん(32)。
27歳年上のアメリカ人の夫とボストンで暮らしている彼女に、英語を習得するまでの苦労、継父との軋轢、納豆販売以前に手掛けていた事業などについて、話を聞いた。(全5回の2回目/3回目に続く)
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「無理矢理しゃべっていたら…」10歳で渡米後の英語の習得方法
――10歳でいきなりアメリカ移住となると、英語の習得は大変だったのでは。
Rowe綾花さん(以下、綾花) 最初の2年ぐらいは、ほとんど何もしゃべれなかったですね。なにかしゃべると馬鹿にされるような雰囲気だったのもあったし。でも耳は育っていくんですよ。聞こえるようになって、人が言っていることがだんだんわかってくる。
決定的に変わったのは5年目くらい。高校に入ってからでしたね。プレゼンをしなきゃいけないし、クラスで発言しないと単位がもらえなくて成績が悪くなるシステムだったんですけど、無理矢理しゃべっていたらしゃべれるようになりました。
ただ語彙力は、ネイティブの生徒たちと比べると10年分ぐらいのブランクがあって、たとえば(F・スコット・)フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んでもわからない単語だらけ。アメリカで生まれ育った同級生とは経験値が違いますから。
それでも気合いで電子辞書を使いながら読みましたね。シェイクスピアも、詩も、本当にわからなかったですけど、泣きながら読んでいました(笑)。
娯楽がない環境だったから、勉強が娯楽になっていた
――ヒーハー!的なパーティーとか、アメリカの学生らしい体験は。
綾花 そこは親にかなり厳しく制限されていたんですよ。パーティーはダメ、友達を家に呼ぶのもウェルカムな雰囲気じゃなかった。ミシガンは車がないと移動できないし、冬は雪が降ってどこにも行けないしで、家にいるしかなかった。グレる余地がなかったというか(笑)。ただそれが結果的に、勉強だけに集中できた理由にもなったと思います。
娯楽がない環境だったから、勉強が娯楽になっていたんですよ。大人になって振り返ると、小さい頃にいろいろな大変なことを経験したぶん、大人になってからは大変なことがあっても大変と感じないんですよね。なんか順番の問題かなって思っています。

