きょう6月25日、“あやや”こと松浦亜弥が40歳の誕生日を迎えた。春日井製菓ののど飴「キシリクリスタル」のウェブCMで歌声を披露し、話題になっている。2001年にソロ歌手としてデビューすると、「LOVE涙色」「♡桃色片想い♡」など、瞬く間にヒットを飛ばすが、人知れず抱えていた葛藤もーー。(全2回の2回目)
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8thシングル「草原の人」(2002年)で初めて壁に突き当たり、つんく♂に相談した松浦亜弥だが、それでも当時、周囲の人たちに弱音を吐いたり泣いたりすることはなかったという。それは彼女に言わせると、《自分が一度〈やる〉って決めたことだったんで途中で投げ出せるわけないし、そんなことしたらたぶん一生自分のことを好きになれないと思った》からだった(『音楽と人』2007年1月号)。
世間のイメージとのギャップに葛藤
デビュー当時の松浦は「私はいつでもポジティブでいられる」と公言し、世間でも“いつも明るくて元気なあやや”というイメージが定着する。しかし、そのうちに、たとえくじけてしまうようなことがあっても、「笑顔でいなきゃいけない」と意識し、無理をしてでも笑うようになっていたらしい。それが18歳をすぎたころから、テレビの画面を通して見る“無理をして笑ってる私”が痛々しく思えてきたという。
そんな心情に陥るのも当然で、《デビューして3、4年は、つねにジェットコースターに乗っているような気分でした。誰かがきれいに整えてくれたステージにポンと出されて、つんく♂さんにいただいた歌を歌って。自分では後ろを振り返る余裕さえなかった》というほど多忙をきわめた(『CDジャーナル』2007年9月号)。ついには自分はこのままでいいのかと悩み、一時はすっかり落ち込んでしまったという。
当時の彼女は、世間でのイメージと実際の自分に大きなギャップを感じ、「松浦亜弥って何だろう?」と悩んでもいた。そのころにはバラエティ番組でいろんな人からモノマネをされ、前田健やはるな愛のように松浦のモノマネでブレイクするタレントまで現れた。これに対して彼女は最初のうちはうれしかったものの、モノマネがどんどんオーバーになっていくにしたがい、真似されるしぐさに自分ではしていないはずのものも出てきて、戸惑いを覚える。
しかし本人の思いをよそに、モノマネのほうの松浦亜弥のイメージが世間に広まってしまう。彼女もライブでモノマネのようにやってほしいとリクエストされては、「私こんなことしたっけな」と迷いながらも実際にやってみせ、どんどんストレスがたまっていった。そこであるとき思い切り、《そういう迷いはもう嫌だなと思って。素直で、裸でいようと》決意したという(『音楽と人』前掲号)。
